夢のままにしておく

夢で

かつてのわたしの活動的だった時期を支えてくれた人たちが登場して
いろいろと話している
これが本当の自分なのかとも夢の中では思い、納得していたのだが、
しかし目が覚めてから考えてみた
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次第に活動を縮小している自分が本物なのかとも思う
彼らには彼らの人生の展開がある、それでいい
また再び活動を展開して
人の人生を巻き込み、背負い込み、迷惑をかけ、かけられ、
そのような時期はもう卒業だと思う
静かに、自分の心の中に実った果実を味わう時期ではないかと思う
いつまでも農園を広げるものではない
若いつもりでも、それはつもりであって、若いのではない
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実際、やればやったで、また新しいアイディアはあるし、
新しい展開があって、それもひとつの人生だと思う。やりたいと思う気持ちが半分あるし、
チャンスが来ているとも思う。
しかしそのように進軍ラッパを鳴らしているだけが人生ではないだろうと思うのだ
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「林住期」の中で五木寛之が書いていた。
古代インドでは人生を4つの時期に区切るという。
 「学生期」(がくしょうき)
 「家住期」(かじゅうき)
 「林住期」(りんじゅうき)
 「遊行期」(ゆぎょうき)
「学生期」で学び、
「家住期」働き、家庭をつくり、子供を育てたあとに、
人生のクライマックス「林住期」を迎える。
林住期は、時間を取りもどす季節だ。
林住期は、人生におけるジャンプであり、離陸の季節でもある。
これまで、たくわえてきた体力、気力、経験、キャリア、能力、センスなど自分が磨いてきたものを土台にしてジャンプする。
林住期に生きる人間は、まず独りになることが必要だ。
人脈、地脈を徐々に簡素化していこう。
人生に必要なものは、じつは驚くほど少ない。
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夢は夢のままにしておけという夢を見て
そんな夢は夢のままにしておこうと思う