退屈凡庸ボヴァリーさん-2

ギュスターヴ・フローベールの小説『ボヴァリー夫人』
凡庸な男に我慢出来ない女を描いたとか評論しているものがあって
おやおやそんなものなのかと思った
凡庸そのものなのはむしろその女だと思うが
あらすじと解説だけしか読む気せず
フランス語としていい点があるのかもしれないが私にはよく分からないので文学論としては保留
正確に言うと凡庸な男が我慢できないのではなくて男の凡庸さが我慢出来ないと書いてある
多分の話、この女にはこれまで道徳的非難が浴びせられていて、常識的にはそれが妥当で、
この文章から学ぶべきは、つつましい幸福とかそんなもので
だからこの評論ではそれをひっくり返して、男の凡庸さを、フローベールは非難したのだと言うらしい
男に凡庸でなくなれと言ってもなあ、困るなあ、実に
ーー
妻であるEnmaというんですかね、エマまたはエンマは情熱派。婚外性交渉に励むが幸せにはなれない。主な浮気相手は二人。浮気などに使った借金が返せなくなって自殺。(自殺の原因として、旧来はもちろん借金苦。今回目にした評論では、夫の凡庸さに耐え切れなくて、こんな夫に借金のことを告白するのは嫌だから自殺としている。そんなつまらない夫ならば、浮気でも借金でも告白すればいいだろうがなあ。)
夫である医師のシャルルは地味でつまんない男。妻が浮気しているのにぜんぜん気がつかないし、借金しているのも気がつかない。
昔の人にはこれで刺激的だったのでしょうね。発禁処分のあと裁判に勝って発行されてベストセラーになったらしい。
ごく普通のご婦人の乳首の写真みたいなものですかね、白黒の。
夫はたしかに凡庸
しかし妻もいまから見れば完全に凡庸
情熱家と言っても、実際にしたことは婚外性行為と、買い物した結果の借金、それだけで
別段なにか努力を要することでもないし、新しい発想があるわけでもない
なんというか、努力とか鍛錬とか幸運とか何もない
とりあえず出来ることをした
当時ははしたないこととされていたことを
内的欲求の通りにしたとか言いたいのかもしれないが
婚外交渉の相手は別段やけどするような男でもない
借金と言っても男へのプレゼントとかホテル代とか
たいへん「現実的」
まあ、だから写実主義って言うのかな
手近なもので間に合わせましたという慎ましさ
時代を先取りしたといえばそうかも知れないがそれならば現代的には過去の遺物としてしか意味がないわけだろう
いまさら古代人の乳首見せられてもね
しかし
やりたいことがそれだけって言う女もどういうものですかね
ほかに楽しいこととか才能とかなかったのかな
ふつう、女どうしでとか子供と楽しみ見つけるでしょう
それができないところに特徴といえば特徴があるわけです
気がつかない男が馬鹿なのかといえばそうでもなくて
妻の肉欲なんか興味ない夫が普通なわけだし
男はそれなりに仕事してチャレンジもしているんですね
男に興味を持たれなくなる要素がこの女にはあった
というようないろいろをふくめて実につまらない風景が描かれているわけだ
写実主義としてはそれでいいのだろうし
そういう文章がドキドキだった時代もありましたというだけだろう
いまさら世界の名作でもないし
若者になにか参考にしなさいというものでもないだろう
アスペルガーのフランス語の先生ならば喜んで何年もかけて翻訳しそうだけれど
付き合わされる女子学生はつまんないでしょうね
凡庸な卒論しか書けないでしょう
ーー
この女性はそのような婚外性交渉とかでしか異性関係とか対人関係を築けなかった人ということで
現代でもよくある類型
女性の場合は深刻に悩まなくても下半身を緩くするだけですぐにこの程度の関係はできる
ある程度のドキドキも体験できる
そのためにはむしろタブーであったほうがよい
現代ではドキドキさえもない
結果の自殺というのもまあ不思議でもない
しばしば見られる対人接触障害類型を描いた作品
対人接触が貧しいので性交しかできず、それにしか興味が持てなかった女
頭が悪くて漢字が読めなかった私の祖母と同じようなものですね
かわいそうだけれど珍しくもない
こうしてみるとフンス文学教師が女子学生に教えたいと思う欲望の背景は理解はできるが
よくないことだ