愛と摂食障害

愛の傷は
食の障害に至る。なぜか。
愛の傷が、
見る・見られるの障害に至るよりも、
食の障害に至るように見えるのはなぜか。
(見る・見られるの障害は、被害的感覚の病理に近い。)
見ることと食べることの間には
深淵がある。
食べることは
相手を変えてしまい、破壊してしまい、消化して自分同化してしまうことだ。
見ることとは全然違う。
愛することは、自分の大切なものを捧げる・奪う点で、食べる・食べられる行為につながっている。
女性の場合、
愛は、見る系列ではなく、
愛は、食べる系列に属している。あるいは、食べられる系列に属している。
そのようにして
親子の愛の傷
兄弟の愛の傷
友人の愛の傷
男女の愛の傷
それらから食の障害が生じる。
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だとすれば、摂食障害を癒すのは、愛である。