「過食費」と「深い癒し」水島 広子 

 近著「摂食障害の不安に向き合う―
対人関係療法によるアプローチ」を読
んだ方から,「過食のお金や,アルバイ
トをした場合の収入の扱いなど,ずい
ぶん現実的なことを細かく扱っている
ので驚いた」という感想をいただいた。
その感想を聞いて思い出したのが,米
国では,対人関係療法(interpersonal 
psychotherapy: IPT)が,精神科医や
臨床心理士だけでなく,ソーシャルワー
カーの方たちに多く活用されていると
いう事実である。ソーシャルワークと
IPT のアプローチに共通点が多いから
だということを,IPT 創始者ワイスマ
ンに聞いたことがある。患者の現在の
対人関係と症状の関連に焦点を当てる
IPT では,治療の過程で,様々な現実
的な問題が解決することも多いし,ソー
シャルサポートの量的・質的充実も重要
な治療目標の一つである。これは,ソー
シャルワークを専門とする人たちには,
極めて親和性の高いアプローチだろう。
 振り返ってみれば,IPT が治療法と
して開発される際に多くを参考にしたサ
リバンは,当時圧倒的に優勢だった精神
内界的アプローチとは異なり,「精神医
学とは,人々についての,そして人々の
間のプロセスについての科学的学問であ
り,心や社会や脳だけに焦点を当てるも
のではない」と教えた。この時点で,精
神医学がソーシャルワーク的な領域に踏
み出したと言える。そして,サリバンの
考えは現在では多くの臨床現場に共有さ
れていると思うし,ソーシャルワーカー
の方たちの活躍の場が増えているのも,
それが必要なことだと認識されているか
らだろう。
 一方で,こうした現実的なテーマを扱
うと,単なるソーシャルワークになって
しまい,「深い」治療にならないのでは
ないか,と懸念する人々がいるのも事実
である。もちろんそのリスクは否定しな
い。例えば,治療者側が一方的に問題解
決をしてしまうようなやり方だと,治療
的なプロセスは進まないだろう。むしろ,
患者の無能力感や依存心を増すだけかも
しれない。要は,どういうスタンスで扱
うかということだと思う。IPT の魅力
は,現実的なテーマを通して患者の力動
を扱えるところにあると私は思っている。
そこで得られるものは,症状の寛解にと
どまらない。ゆるし,深い癒し,患者や
家族の人間的な成長に感動することも少
なくなく,まさに精神療法に期待するも
のが得られるという印象がある。
 私が拙著に書いた一つの例は,過食症
状を持つ摂食障害患者の場合に必ずと
いってよいほど問題になる過食費の話で
ある。過食には膨大なお金がかかる。患
者の多くは若年女性であり,とても自分
でカバーできる金額ではないことが多い。
一人で何とかしようとすると追い詰めら
れて売春にすらつながり,家族に負担し
てもらうと,何らかの不和が生じること
が多い。そういう意味では,明らかに現
実的なテーマである。
そのようなケースに対して,私は細々
とした話を聞いて対応していくのだが,
私が持っている明確な原則は,過食費は
「家族が払うべき性質のもの」というも
のである。これは,摂食障害が病気であ
り,過食は症状であって本人のコント
ロール下にはないということを考えれば,
実は当然のことである(当然だと思わな
い方は拙著を読んでいただきたい)が,
こうしたことを敢えて明確に形にするこ
とは,大きな意味を持つ。患者の罪悪感
を扱うことになるからである。
 過食をやめられない自分,家族が苦労
して稼いでくれたお金で買った食べ物を
嘔吐してただトイレに流す自分,そもそ
も経済的に自立できておらず家族にいつ
までも苦労をかけている自分……お金に
ついての罪悪感を持っていない過食患者
を私は見たことがない。そしてその罪悪
感が放置されることで,病気の経過はま
すます悪くなる。患者の罪悪感は明らか
に治療で扱うべきものであるが,その有
用な「とっかかり」が「お金」なので
ある。IPT の「医学モデル」を適用し,
過食を病気の症状と位置づけた上で,患
者の自立も視野に入れながらお金の流れ
を細かく規定していく作業は,様々な治
療的プロセスを伴うものとなる。
 考えてみれば,「お金」は,私たちの
生活の中で様々なものを象徴している。
過食患者においては,「家族が苦労して
稼いでくれたもの(家族との関係性)」
であり,「自己コントロールの悪さの象
徴(自分の性質)」であり,「経済的に自
立していない,だめな自分を示すもの
(自分の能力,社会における位置づけ)」
であり,「今後の生活の安定を脅かすも
の(将来への不安)」である。「自己」
「世界」「将来」という,悲観的認知の
三徴のすべてがここに含まれているくら
いに,私たちの精神生活の全域に及ぶも
のだと言える。これほどホットな領域を
扱わない手はない,というのが私の考え
であるし,患者の現在に密着する IPT
では扱わざるを得ない領域でもある。患
者が実際に困っている領域を扱うことは,
治療関係を強固にするし,患者の治療意
欲も高める。そして結果としてソーシャ
ルワーク的な側面も達成できるのであれ
ば(IPT は治療であってソーシャルワー
クではないので,本当のソーシャルワー
クが必要になったときにはもちろんソー
シャルワーカーを紹介する。ソーシャル
ワーカーの活用を考えるところまでが,
IPT の守備範囲である),患者にとって
それほど「お得な」治療はないのではな
いだろうか。
そして,「お金」というテーマのやり
とりを通して,身近な他者との関係性の
中で,罪悪感が扱われ,無力感が扱われ,
将来への不安が扱われ,最終的には無
条件の肯定的関心を感じることが,IPT
で経験される深い癒しにつながっている
のだと
思う。そもそも,私たち人間が,
細々とした現実的なことに従事しながら
毎日を生きているのであり,私たちの心
のあり方は,現実との関わり方に間違い
なく反映されている。心に触れる治療を
行うために,現実的なテーマを扱うこと
は,大変理にかなったことのように思え
る。