中井久夫『こんなとき私はどうしてきたか』を読む

【特別寄稿】
中井久夫『こんなとき私はどうしてきたか』を読む

練達精神科医の典雅な下山道談義
坂部 恵(東京大学名誉教授/哲学)


「ふつうの医療者が理解し実行もできるような精神医学を私はずっと目指してきた。いくぶんなりとも達成できているだろうか」
 
 著者中井氏は,本書の「あとがきにかえて―この本が生まれるまで」の末尾でこのように述べられ,おなじ文言は裏表紙の帯にも転載されている。
 本書は,中井氏が神戸大学を定年で退かれた後,兵庫の有馬病院「医師,看護師,合同研修会」,「医局,看護部,臨床心理室のみなさんが合同で,ごく初歩的なことを私が語るのを聞く」会の記録を雑誌『精神看護』(医学書院)に連載し,さらに手を入れて形を整えられたものである。
 「ふつうの医療者が理解し実行もできるような精神医学」は,ふつうの医師,ふつうの医療者では書けない。あるいは,学会誌向けの研究論文や著書などにすぐれた業績をもつ医療者であっても,そのことだけではこうした一般向けの講話をよくする素地には足りない。
 専門の精神科医・精神病理学者としての精緻な観察・学識と長い臨床経験から学び取ったものを平易なことばとして後進に伝えうる医療者だけが,しかもおそらくみずからのキャリアの下山道にさしかかったところで,はじめてこうした仕事をよくしうるのである。
 著者は,本書のあとがきで,ご自身の回復(寛解)過程論が,その論の生まれた場である青木病院で「私が去って久しい後まで看護部に語りつがれ」て,患者さんの病状を見ながらの対応に活用されていたこと,また,大学の系列からすれば著者のとは別の有馬病院で,研修医クラスの人によく著書のサインなど求めれるので,不思議に思って聞くと,当時その大学で著者の統合失調症の回復(寛解)過程論が参考文献として指示されていたのを知ってうれしくおもった,と述べておられる。
 実際,まったく素人の読者の目から見ても,患者の心身の変動を日を追って細かく観察し,それをきわめて精細なグラフにあらわした中井氏の統合失調症回復(寛解)過程論は,日本の精神医学に一時期を画したといわれる東京大学出版会の分裂病(統合失調症)の精神病理シリーズのなかにあっても,むしろ成因論的な研究が目立つなかで,ひときわ異彩を放っていたように記憶するし,何人かの専門領域の方からもこの論文の独自・秀逸なるゆえんについて聞き及んでもいる(篤実な看護師さんの看護日誌が大きな助けになっていたことは,本書ではじめて知った)。
 本書でも,やはり,回復過程について細心の注意をはらうべきことが説かれている。
 
「治りかけというのはとても大切な時期です。しかしわれわれは,患者の症状が収まったら急に気を抜きがちではないでしょうか。患者が回復期に入るか入らないうちに,医療者にはだいたい次の患者が待っているんですね。だから保護室から出てみんなのなかで生活をしはじめた時の患者さんは――このことは忘れられがちなのですが――非常にさびしい」
 
 回復(寛解)過程論にあったのとおなじ細かい目くばりと心づかいがここにも見られる,とわたくしはおもう。こういう時期にかえって自殺の危険も高いのだと著者は付言される。
 あるいはつぎのような指摘。
 
「異常現象そのものはくわしく調べられているけれど,その現象に対する「耐え方」というか「構え方」「受け止め方」のほうは,まだ未知の大陸のような気がしますね。こちらのほうが重要かもしれませんね。未知であるとは,そういうものがないということではないと思うのです」
 
 中井氏がつづけて述べられているとおり,「耐え方」,「受け止め方」は,当然ひと通りではないだろうし,患者さんひとりひとりによって,おなじ患者さんでも個々の場合や時期によって有効な対処法はおのずからちがってくるだろう。中井氏は,一般理論を組み立てるよりも,一貫して個々の症例を徹底的に観察することから部分的あるいは全体的に応用可能なマニュアルを探り出す道を探ってこられたのだとおもう。西洋の人文主義者・法賢慮の実務家たちがiudicium(判断力)と呼んで重んじた個と普遍を創造的に媒介する能力。今日の人文学でも,この部分はまだ大方未知の大陸である。
 
「病的な面に注目するのは,熱心な,あるいは秀才ドクターの陥りやすい罠です。私も何度かそういうところに陥ったし,まわりにもそういう人を見てきました。精神病理学者に多くのものを与えた患者の予後はよくないのです」
 
つづく箇所には,
 
「たいていの患者は看護師が健康な面に光を当てているからこそ治るのかもしれません」
 
と,医師には耳の痛いことばがある。
 中井氏が業余に現代ギリシャ詩の翻訳をよくせられ,また達意のエッセイの書き手であられることはよく知られていよう。治療者集団への講話に特化した今回の仕事でも,自在な語り口のなかに,年輪とともに,そうした自分の専門領域を外から見ることのできる「余裕」が存分に生かされている,とおもう。iudiciumと縁の深いinventio(発見法)を何より重んじたバロック人フランシス・ベーコンもまた,英文学史上屈指の随筆の書き手であった。
 
 わたくし自身,1990年代にうつ病で三度の比較的長期の入院生活をし,患者(たち)の立場から医療の現場を経験する機会をもった。入院中,同棟の仲間も含めて,何とはなしもの哀しい感じは変わらないが,それでも患者のミーティングがひらかれたり,若い患者さんたちにソシアルワーカーが積極的な援助の手をさしのべたり,医療やケアがすこしずつ変わりつつあるらしいというたしかな実感があった。患者の回復・下山過程に細やかな目をそそぐ中井氏の心が,後進の医療者たちに受け継がれてほしい。