『O嬢の物語』

『O嬢の物語』は、ジャン=ジャック・ポヴェール書店から1954年に刊行された。Oと呼ばれる女性の「奴隷状態における幸福」を描いたその内容は話題を呼び、翌年にはドゥ・マゴ文学賞を受賞する。
著者「ポーリーヌ・レアージュ」の正体についても憶測が飛び交った。なかでも序文を寄せているジャン・ポーランとする説が有力だったようだが、1994年になって、ポーランの愛人でもあった作家ドミニク・オーリー、本名アンヌ・デクロが真の作者であると名乗りでて、この論争に決着をつけた。
日本でも澁澤龍彦名義で発表された1966年の訳が版を重ねているが、この翻訳のほとんどが、実は当時の澁澤夫人矢川澄子によるものであったことを、のちに矢川自身が明かしている。
翻訳がパートナーの手になるものと目されていたことに加え、矢川が後に告白した澁澤の支配、彼女自身のマゾヒズム的傾向など、原典にまつわるエピソードとも重なる点があって面白い。もちろん矢川のマゾヒズムと、カトリックの信仰が根底にあるレアージュのそれとではだいぶ趣を異にするのだが。
澁澤の死後、矢川澄子は別れた夫である澁澤との結婚生活の裏話を色々な媒体で告白するようになった。関係者やファンの中には、彼女の一連の告白を「暴露」と捉え、不快に思う人も少なくなかったようだ。
2002年5月刊行の河出書房新社のムック「澁澤龍彦 ユートピアふたたび」の年譜から矢川に関すること一切が抹消されていたのも、矢川の言動に憤った誰かの意向によるものだろうか。
どのような意図があるにせよ、特定の事実を故意に落とすなど年譜の資料的価値を損なう行為でしかない。自費出版ならともかく河出ほどの出版社がこのような恥知らずな隠蔽を行なうとは。
2002年5月29日に矢川澄子は黒姫の自宅で縊死した。
wikipediaの矢川澄子の項には、年譜の一件が彼女の自殺の引き金になったのではないか、と書いてあった。
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『O嬢の物語』における序文を書いた男と、本文を書いた愛人、そして日本で翻訳を発表した男と、実際は翻訳をしたその妻。
このような男と女の関係が珍しくなくあるのだと感じさせられる。
例えば、柄谷行人と冥王 まさ子の場合なども。
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「自分」が「誰かの所有物」であるという事態をどう考えるか。
自由である幸福と
奴隷である幸福
この延長にカトリック的神の摂理が控えている
人間の意志などはすべて神が予定したものに他ならない
わたしとしては性的領域でのマゾヒズムに限定せず
もっと広くカトリックの根源に関わる問題だと思っている
悦んでいるとき
それは自分が悦んでいるのか
神の配慮として悦ばされているのか
意志のすべては神の定めたものである
カトリック神学としては
そう結論せざるを得ない
そして人間の意志はせいぜい錯覚でしかない
こうした神学・哲学的な自由意志論と
わたしの神経回路における自由意志錯覚論は
まったくパラレルに存在することができる。
http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-04
すべては神の計画であるのに、人間はそれを自由意志であると錯覚している。
そのことをわたしは
すべては神経回路の物理特性の結果であるのに、人間はそれを自由意志と錯覚している。
と結論する。
そして
その錯覚からさめた時を「幻覚」「妄想」と呼んでいるのである。
(ただし、幻覚、妄想のすべてではない)
錯覚を錯覚と正確に名付けたとき、
狂気と断定される。