何が正しいかは知らないが何が楽しいかは知っている?

何が正しいかは知らないが何が楽しいかは知っている

それで充分だと語る
充分なのかな
自分が楽しいと思っているその楽しさは
はたしてそれでいいのかなと疑問に思わないのだろうか
別の楽しさとかあるのかなと思わないのか
逆に不思議である
そのことをわたしは「広義の自閉」と呼ぶ
そう考えて正しさの次元が登場する
それが社会であり倫理であり法であり正義であり
お互いに交流可能で共感可能な領域
そのような背景があれば別の次元の楽しさが発生する
原始的な楽しさではない
そこまで行かないのは一種の精神的怠慢である
ーー
何が楽しいかだけで
生きられるものなんでしょうか?
正しさは思考の問題
楽しさは感覚の問題としても
思考の背景に感覚があるし
感覚の背景に思考があるはず
独立しているものではない
だからこそ認知行動療法が成立もしている