こんなにも寒い3月

3月は多分例年このように寒いような気もする

毎年寒い寒いと言っていてそれで春になだれ込む
沈丁花、連翹、桜、柳などが準備をしている頃だ
不忍池のあたりが寒い
昔は銭湯に通っていた
雪の日も銭湯に歩いて往復した
そんなことが私の若い日々だったし
それ以外に有り様もなかった
いま、私と同じDNAをもった若者がいたとしたら
そのような無駄な時間を生きるかどうか
人生で何がほしいかによるのだと教えてあげよう
私の生きたような何かが欲しかったら私のように生きればいいし
私の手にしなかった物が欲しいなら私とは違う生き方をすればいい
同じような生き方をしたとしても時代が違うのだからずいぶんと違うものになるはずだ
若い人の話を聞くと
いまトイレとお風呂が一緒のユニットバスの部屋なのだという
なかなか温まらないという
いいことだ
若い一時期はそれでいい
それでこそ、駆け抜けた感覚が発生すると思う
我慢ができるのも若いからだ
そろそろ温かいはずなのになあという日、冷え性の人は一層つらいと思う
みんなで盛大に暖房している日のほうが耐えやすいのではないかと思う