ニュージーランド 鳥 統合失調症 荻野恒一 故郷

ニュージーランドでは哺乳類が存在しないままで時間が経過したので
鳥類の天国となり、飛べない鳥がいたものだが、
人間がウサギやシカなどの哺乳類を持ち込み、
鳥の卵や子供を食べたり、餌となる草を横取りしたりしたので、
結果として絶滅に至った種もあるとのことだった。

ははあ、グローバリゼーションのことかと思い、
交通手段の発達はこのようなことにまで影響するのかと思った。

ニュージーランドの鳥が口をきけたら、
「鎖国」も選択なんでしょうけど、
そのうち、ニュージーランドの鳥も、
アメリカンな生活を望むようになるってことでしょうね。

人間の移動ということで言えば、昔々の荻野恒一先生の論文を思い出した。
統合失調症の一部についての考察で、
荻野先生が金沢大学で仕事をしていた当時、
奥能登の若者が、都市部に出て、そこで統合失調症を発症する例を何例も考証して、
「故郷喪失の病理」と名付けていた。
もとの本はもうどこかに行ってしまってすぐには参照できないけれど、
概略そんな話だったと思う。

現代的にドーパミン仮説で言ってしまえば、
奥能登の田舎での生活にちょうどよく、ドーパミンレベルがセッティングされた脳が、
都市部に出てきて強い刺激にさらされ、ドーパミンを沢山出すようになってしまうと、
レセプターは過剰なドーパミンを処理しきれず、
幻覚妄想状態に至る、なんていうように考えても、まあ、いいかもしれない。

交通手段の発達があり、都市生活が成立したから、このような病気が発生したのだとも、
言えるかもしれないわけで、
統合失調症の発生のすべてを説明するのではないとしても、
そうかな、とも思える話だった。
しかし、学問の世界ではもちろん、この方向では話は発展せず、
薬理学的な話題に終始するようになっていった。

交通の発達、都市生活の成立と同時に、
精神病についての考え方も変化し、精神病院が成立する、
だとすれば、疾病概念にまつわる考察も必要なわけで、
ミシェル・フーコーの狂気の歴史とか性の歴史とか、
難しい本でのお勉強が待っていて、
本を買ってはあるけれど、まだ読んでいないのだった。

精神病については、堀田善衞「ゴヤ」でもさかんに描かれていて、
「狂気」と堀田氏は表現しているのだが、
狂気がどのようにして社会から排除されて、疾病として分類されてゆくか、
そのプロセスがちょうどゴヤの生きた時代に進行したものらしい。

交通手段、都市生活、疾病概念、精神疾患、精神病院、これらのアイテムについて、
どれが原因でどれが結果であったものか。