多幸症と対置すべきタイプのうつ病

憂鬱症の対極に躁病を置くこともできるが

多幸症を置くことも出来る
なんと呼ぶのかは別として
記憶の貯蔵庫から
楽しかった記憶の全てを一挙にdeleteするような病気を考える
老年期の記憶喪失の一つの形として昔から認知されていた
現在では記憶の障害というよりも認知の障害と表現される
この場合は、認知の前提として記憶があるので、
想起の障害といえば当たるのかもしれない
どうしてそんなに幸福なのか
そして躁状態とか軽躁状態とは別のものだ
ーー
悲しい記憶が消去されたのか、あるいは存在するけれど想起の障害なのか、
治癒してれば分かるのだと思うが、よく分からない
そのような記憶の想起の障害があることから考えると
記憶タンクにどのように記憶が蓄えられているか
階層モデルとタグモデルが考えられる
階層モデルは
記憶タンクから一気に、しかし悲しい記憶は残して消去されたとすれば、
場所が特定できるはず
そして格納の仕方としては引き出しにしまうようなものと考えられる
もう一つは
タグをつけて時間順に格納するようなもので
このタイプで脳血管障害が起こったりすると
その時間の記憶がすっぽりと抜ける
どちらも起こりそうである
だからどちらの記憶格納方式もあるのかもしれない
ーー
うつ病のときに悲しい記憶だけを思い出して困ることを
うつ記憶連続想起と個人的には呼んでいるが
なぜそのようなことが起こるのかと思う
うつの時にはうつの記憶ばかりが参照される
ということは多分、うつの部屋を考えるといい
うつの時にはうつの部屋
またはビルのうつの階に入り込んでしまうのだと思う
エレベターを降りた途端にうつの世界満開
ーー
記憶に付けるタグは一つだけではないだろうと思う
悲しさと嫉妬とうれしさと混じり合った何かという場合もあるはずで
そのようなときはまずタグを3つ付ける
そして格納場所としてはどれか主要な一つとする
たとえば悲しさ
嫉妬の場面で昔の嫉妬がフラッシュバックするのは
タグを探して検出する機能があるからなのだろう
ーー
話は元に戻るが
うつ病と躁病を対置するのもいいが
うつ病の一部と多幸症を対置する事もできそうである
そのタイプを多憂病と仮に呼ぶとすると
楽しい記憶にアクセスできなくなっている状態
または楽しい記憶が失われた状態
ディスチミア・気分変調症の場合にはそのような病態がありそうだ