他人の心の痛みが解かり、徳を修めるための砥石

耳中常聞逆耳之言、心中常有払心之事、纔是進徳修行的砥石。
若言言悦耳、事事快心、便把此生埋在鴆毒中矣。

耳中、常に耳に逆らうの言を聞き、心中、常に心に払(もと)るの事ありて、はじめて是れ徳に進みて行いを修むるの砥石(といし)なり。
若(も)し言々耳を悦ばし、事々心に快(こころよ)ければ、便(すなわち)この生を把(と)りて鴆毒(ちんどく)の中に埋めん。

通常は聞きづらい言葉を聞いて、心に添わない事があるからこそ、他人の心の痛みが解かり、徳を修めるための基盤となる心ができるもの。もし、どんな言葉も快く楽しい事ばかりなら、自分の人生を毒の中に沈めてしまうのと同じことになります。
つまり、いやな話こそじっくり聞き、思い通りに行かない事も耐えて生きれば、それがそのまま道場のような役割を果すことになるでしょう。
言い換えれば、活人の一日は「避けたい事から挑戦しなさい」、「人が嫌がることを率先して引受なさい」と言えるのです。

『菜根譚(さいこんたん)超訳』


ーーー

後輩、こういうことも言われている

つらいが耐えよう

この人生は道場である


ーーーーー

精神療法で苦難、不愉快、納得不可能な現実をどう解釈するか、難しい場合がある

人生は道場であり、苦難は砥石であると解釈する。