治療構造と竜宮城

ここで言う治療構造は精神分析で言われるものよりも広義のものである
私は治療構造として
治療室が竜宮城になってはならないと常に言っている
たとえば女性治療者の場合
往々にして治療室で患者は退行して治療者と患者は擬似的母子関係となり
それが擬似的母子関係である限りは
治療室は竜宮城になってしまう
退行を依存という側面で捉えると、逆は自立であり、
退行の逆の言葉として「進行」と私は言ったりもするのだが
治療室で退行や依存が起こっている限り
治療室外で適応改善するはずはない
あるいは現実を変革する力を蓄えるはずはない
そうではなくて、治療室で進行と自立が起こるなら
治療室外でもそれらが起こる可能性がある
私の主義としては治療室では進行と自立を促進すべきであると考える
ここで練習するから世間でも進行して自立することができるのだ
治療室で世間で生きるよりもさらに退行して依存していたら
世間に出たらなおさら行きにくくなるだろだろうと思う
一時的な心地良さはあるだろう
全面的な肯定的受容があるならそれは心地良いだろう
しかしそれが生きる力になるものだろうか
竜宮城で強くなって帰ってきたのではなかった
帰ってきたときは白髪のおじいさんになっていたのだ
治療室を竜宮城にしてはならない
ーー
治療室はキャバレー的なものでもないしパチンコ的なものでもない
自己鍛錬の場であり
それ以降の一週間は学んですなわちこれを習うの一週間となる
治療室では世間で生きるよりも多くのエネルギーを消費する
それは当然である
治療室で『元気になって出てくる』のは本来おかしい
治療室で『疲労困憊して出てくる』はずなのである
そうすれば世間が生きられるようになるのである
ーー
まだ開花していない成長の要素を発見して
水を与え太陽を与える
そのように成長することは
竜宮城で時間つぶしをすることとは本質的に異なる