認知療法

何から何まで訂正できるが

本質は訂正できない
認知の分析を受け入れ
認知の訂正を受け入れるかどうかは
認知のゆがみがある限り原理的に難しいこともある
そう考えると結局は認知のゆがみにもかかわらず受け入れる何かの決定的な要素がありそうである
人格といってもいいし
ある局面では権威といってもいい
慈愛といってもいい
そのような何か