しぶとく生きていれば、道はありそうである

新平家物語で義経はついに自害した。
民の平和を守る、戦いを起こさないために、自分は死んでもという決意だったという説明なのであるが、
さてどうなのだろう。

時代背景としては、やはり自害を選ぶということになるのだろうとは思う。
しかしまた、一方の背景に、自殺が伝統的に身近だった日本人の文化のあり方も関係していると思う。

何かあると容易に出家してしまうし、その先は容易に自殺してしまうようでもある。

民の平和のためとはあとでとってつけた理屈だろう。
実際、戦いはなくならないのだし、恒久平和のための仕組みを構想しなければならないはずの立場であるはずだ。

「もう、だめ」という結論がやはり前提にあったという状況のようだ。

時代背景を別にすれば、
やはり義経にはしぶとくその先の人生を考えて欲しかったと思う。

軍事的人間から政治的人間に変身して欲しかった。

頼朝的政治から別な道に転換することは出来なかったかと思う。

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しぶとく生きて欲しいとの願いはやはり共有されているらしく、
各地にその後の義経話がある。

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物語全体を通して、何というおびただしい人々の死であろうと思う。
甲子園の高校野球ではないが、
要するに誰がどのようにして敗れ死んで、
誰が残ったか、という話になっていて、
最後には頼朝も後白河も
たいして理由もなく死んでしまっている。

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逆に考えると
即身成仏の秘儀がやはり人生の究極の問題だとも言える
(まあ、そんなことは、実際的ではないけれど)

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義経の身の振り方について、やはり、もっと考えて欲しかったと思う。
どうしようもなかったのは重々承知だが、それでも、頼朝との何かの妥協を図ることは出来なかったか、
それが成熟した大人の知恵というものではないか。

頼朝としても、後々まで、冷酷無残といわれてしまうのだから、
やはり内心どうしようかなと考える場面はあったはずだろうと思う。

偉い人ほど最後には後世の名誉を気にするものだ。

過激なストレスにさらされた後のPTSDにより各種症状ありと申告して
幕府の一角にて生きるのも方法かも。

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いずれにしても、しぶとく生きていれば、道はありそうである。