脳の異変と体験

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このような図を参考にして考えると
脳の部位Aに異変が起こったとき体験1が発生する
たとえば被害妄想
脳の部位Cで異変が起こっても体験1が起こる
主観的には区別ができない
またたとえば
部位Bで異変が起こると
部位Aとほぼ変わらない場所なのに
体験2が発生して
体験1とは随分違うような主観的な印象を持つ
しかし実際にはAとBは近いのであってABとCは遠い
体験の領域で考えれば、現状ではそれしか方法がないのだが、体験1と2の違いになる
AとCは脳の部位としては遠いのに体験としては区別できない
AとBは脳の部位としては近いのに体験としてはかなり異なる
こんな事情になる
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この方式で考えると
Aのあたりで1センチの病変と
Cのあたりで1センチの病変を想定すると
Aの影は大きくなって
Cの影は小さくなる
Aの影はCの影を全部含んでしまう
DSMでうつ病とか妄想性障害とか人格障害とかのチェックをすると
それは体験の領域での話なので
Aの影を体験している人は
いろいろな診断チェックに当てはまりそうだ
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この説明方式が妥当であるためには脳の構造が全体に逆ピラミッドだといいのだけれど
困ったことに実際はピラミッド型である
新しくできた部分が古い部分をサブルーチンとして指令を出している
古い部分の障害があると
上位命令セットではいろいろな命令に支障は出るが完全に止まることはない
その瀰漫性の広がり方を広汎性またはpervasiveと表現してもいいかもしれない
私の個人的に考えるpervasive な障害とはそんな感じ
新しい部分の障害があると
それ自体の働きは止まってしまう
それでおしまい
イメージとしては初期のプログラム言語で考えているような
サブルーチンとメインルーチンのような関係だ
深い部分のサブルーチンにバグがあったら
何度も登場して厄介だ
しかし治るときは鮮やかに全体が治る
再建方法を考えると
進化論的に古い部分の命令セットに障害がある場合は
上位部分をいじっていてもなかなか治療できない
新しい部分の欠落の方が新設しやすいとも考えられる
それに新しい部分が欠落していても生きていくには多分不都合はないので
それでいいのだと思う
自分は新しい部分が欠落していると
感じる人はいないだろう
猫は自分の欠落を悲しまない
古い部分の障害については自覚できると思う
だから苦しいだろう
図はまた時間のあるときに
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上の考え方は時間を止めて見た方法であるが
もう一つの考え方としては
脳の異変の領域の全体を脳と考えずに
脳の発達に従っての時間軸が横軸だと考えればいいのかもしれない
精子と卵子が結合した瞬間が左側の始まりの点である
ある時間の脳の状態は縦線一本になる
ビッグバンの背景放射 background radiationのようなもので
そこにそもそも障害があれば
症状は全般に及ぶ
症状は偏在するはずである
時間が経つに連れて右に移動し
発生分化すると考えると
発生の後期に発生したものほど
部分的で特異的な障害になる
発達障害で3歳までに見られるものなどと考えると
実際は障害は広汎に及ぶので知能の障害は回避できない
かなり後期になって発生すれば
特異的に読字障害とかコミニュケーション障害となる
読字ができないと結構大変だがそれでもハリウッドスターにもなれる
コミニュケーション障害もさまざまな様態があるが
大抵の場合は親を始め他人とのコミニュケーションの中で知能が発達するので
特異的発達というのも珍しいことになる
しかし実際に発達の最後期で部分的に障害が発生すれば
アスペルガー症候群のようになる
図で言えば
右の上のあたりになる
これは知能の障害はないので
むしろ他人の愚かさに付き合う必要がなくなり
独自に勉強できるので
生活が何でも便利になり
他人と妥協する必要のない環境が確保できれば
悪くない人生である
考えて見れば
他人から見て分かるようなことを考えているなら天才とは言えないわけで
単に頭の回転がいいだけでだ
天才の考えていることは理解されないのでコミニュケーションがうまくいかない
天才の側ではプレゼンテーションの必要など感じていないし
他人がなぜ分からないのか分からなし
そんなことを理解しようと思わない
他人よりもっと面白いものがあるからだ
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考えの土台のしっかりしている人ほど謙虚なことが多い
他人も自分と同じように深く考えていると錯覚しているからだ
他人も自分と同じようにすごいと考えると
他人に対して謙虚にならざるを得ない
高等なものの考え方がわからない人は
他人も自分と同じようなものだと思って他人を軽蔑する
謙虚さがない
このように
人間は自分が基準であるから
立派な人ほど謙虚である
私の恩師を見ていてそう思う
人間はどんなにでも謙虚になれるのだと
実際に生きて示してくれた
目の前にいる人は自分と同じように誠実な人に違いないので
誠実に対応するしかないと考える
すると相手はよほど不誠実でない限りは
誠実にならざるを得ない
このあたりを私の個人的なこころの理論という
自己参照して他人を推定する
ミラーニューロンが働く
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この図で言えば
アスペルガー症候群は右上の障害であり

自閉症はかなり左側の障害で知能にも障害のあることが多い
しかし特別な場合にはアスペルガー症候群に近くなり
無論、連続的な移行がある
脳の機能というものは
どのようにして測定されるかを考えると
とりあえず測りやすいものを測っているわけだ
テスターが一番測定しやすいものは
他人に対する印象である
ようするにテスターがどう感じたかで
インプレッションとかゲフュールという
それが客観的で最重要とは思わないが
テスターがまず最初に容易に感じるものだから
分類の最初に来ているのだと思う
それは小学校でお友達の感じることでもあるし先生の感じることでもある
小学校の学級編制に影響のあることは
先生にとって、つまり文科省にとって最重要である
だから医学ではなくて教育が発達障害の診断をしたりもする
それは小学校の先生にとって必要だからだ
自閉症があってpervasiveに障害があっても知能が抜群ならば
欠落を補ってお釣りが来る
そんな場合は知能が低くて他人を気にしてばかりいる一般個体から見れば
自分勝手でしかし頭が良くて問題は解けて非常に腹立たしい
だからいじめられたりする
また小学校の世界というものは実は先生も小学校程度の教養しかないものであって
これは仕方のないことなのであるが
そうなると非常に多くの、地域の小学校の先生の知人の子どもが優遇される隠された構図がある
多くの小学校の先生は公平ではない
自分の知人の子供に注目してひいきする
その自分勝手なひいきを否定するのが高機能自閉症である
頭はいいのに先生の気持ちなんかわからないし
先生がひいきしたいのが誰なのかわからないのである
というわけで先生はいつものようにえこ贔屓手ができないので
おかしいと思う
この子は病気だと思う
つまり病気の本体は先生がえこ贔屓したい子供に、遠慮して譲ることができないことなのだ
それを高機能自閉症とかアスペルガー症候群とか言うとしたら
全くもってよくないことだ
改善方法は、臨機応変はだめ、いつでも必ずルールを完全に例外なく守る、というものである
それを教え込んで、それ以外は自由としておけば、
知能が高いならどんどん伸びる
ダウン症児は人の気持ちがわかって
人にも理解されて愛される代表だと思うが
それはつまり左側の下の方の障害ということになる
遺伝子から始まっている障害なので当然pervasiveである
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小学校の先生が移動します、皆さんこちらに整列
なんて言ったときに
動かない子
動きすぎる子
なんかがいるわけで
自閉症とかADHDとか名前を付ける
それが病気かどうかなんて分からないわけで
推定されているだけだ
病気とは機能の異常を裏付ける構造的異常が客観的な方法で確認される場合をいう
大勢の平均と違うことは即病気ではない
教育上の困難があるというだけである
お前、ほとんど病気だよ
なんて言う場合は
でも病気ではないと言っているわけで
病気と言うからには構造上の変化を想定しているのだ
効く薬があるではないかというが
何に効いているのかメカニズムが分からないのだからはっきりしたことは言えない
写りが悪いテレビのコンセントを抜いたら
チラチラすることはなくなるが
それだからコンセントの部分の故障だったとは言えない
に続く