恋愛至上主義と日常生活主義-2

恋愛至上主義と日常生活主義の対比を説明して思うが、
たとえばこんな場面はどうだろうか。

男が女に好きだから付き合ってくれと言う。

女は戸惑いつつ、正直に答える。
「あなたには恋愛感情は持てない。
でも、結婚するにはいいと思う。
だから、そのつもりなら、付き合ってもいい。
でも、愛し合うというのとは少し違う。」
なかなかませた口をきく。

男はそれでうれしいと思う。実質、結婚オーケーということだからだ。
「本来、恋愛感情で始まった関係は、
3年以内に日常生活パートナー感情の軌道に乗せないといけない。
人間として尊敬され、教育し、教育される存在にならなければならない。
相手がそのように自分を思ってくれるかどうか、
恋愛感情が先行している間は、分からない。
特に相手が恋愛体質だと、3年して、恋愛がさめたときに、
他の男性に恋愛感情が向かってしまうかもしれない。
そう考えると、いま、この女は、自分を、
日常生活のパートナーとしてよいと言ってくれているのだから、
永続性がある。
わたしはむしろ、誇らしい。
性ホルモンに突き動かされての言葉ではなく、
人間として尊敬するという言葉だから。」

僕は君の子供の父親として合格かいと聞くと、
女は、「もちろん、最高」、と答えた。
これでいい。

*****
もしも女が、
「あなたには一度も恋愛感情を持ったことがないし、
これからも持てないと思う。
いったいどこでそんな間違った感情を持つようになったのか知らないが、
わたしが勘違いさせたのなら謝るから、
どうか恋愛感情などということは抜きにして、
友人でいよう」
と言うのなら、
これはこれで、男はきっぱりと諦められるだろう。
そこまで言われたら。

表面的には恋愛感情を話題にしているのだが、
その根本では、あなたは私の日常生活のパートナーにはなれないと
宣告しているのである。
そこを読み取らないといけない。

第一には、女が未熟である場合がある。
恋愛感情にこだわる人はいるものだ。
かわいいが、未熟。成長するかどうか、未知数。

第二に、しかし実際は、女は男よりも成熟していて、日常生活主義者が多い。
恋愛感情はあっても、日常生活主義が優越する人が多い。
日常生活を送るには、
ロミオとジュリエットを読んでいるだけではだめで、
お互いの生活歴と経済の現状を妥協なくチェックする必要がある。
日常生活主義とは、
経済と、日常生活感情のことである。
これが一致しないなら、その先には何もない。

住む場所、乗る車、付き合う友人、仕事の仲間、テニスのサークル、スポーツジム、
パーティに呼ばれたときのプレゼント、出産祝い、入学祝、昇進祝い、
海外赴任すれば一度くらいは立ち寄り、ボランティアには参加し、
出版すればお祝いをする、そんな日常生活セットが、
一致するかどうかということだ。

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しかしまた、それでも食い下がるのも、恋愛である。
もし他に目移りするような人間ではないと自分を信じられるなら、
ずっとずっと待つのがいい。

好きになれる人など、めったに現れないのだから。
多分、一生に平均して0.7回くらい。
10人に3人は、現れないで終わるのではないか。
もし出合ったならば、逃してはいけない。

それがあなたにとっての唯一のバラなのだ。