謡曲 小塩

謡曲「小塩」では、京都の小塩のあたりで花見をしようとしていたところ風情のある老人に出会う。
老人は消え,さては在原業平かと思っていると業平自身が現れ、伊勢物語の恋の歌を
次々に語る。

手向にはつゞりの袖も切るべきに 紅葉に飽ける神やかへさん 古今集 素性法師

年ふれば齢は老いぬしかはあれど 花をし見ればもの思ひもなし 古今集 藤原良房

春の日の光にあたるわれなれど 頭の雪となるぞわびしき 古今集 文屋康秀

今日見ずは悔しからまし花盛り 咲きも残らず散りも始めず 拾葉抄 定頼卿

形こそみ山がくれの朽木なれ 心は花になさばなりなん 古今集 兼芸法師

姿こそ山のかせぎに似たりとも 心は花になさばならめや 拾葉抄 紀友則

わが恋はみ山がくれの埋木の 朽ちはてぬとも人に知られじ 続千載集 藤原冬平

君ならで誰にか見せん梅の花 色をも香をも知る人ぞ知る 古今集 紀友則

大原や小塩の山の小松原 はや木高かれ千代の影見ん 後撰集 紀貫之

都辺はなべて錦となりにけり 桜を折らぬ人しなければ 拾遺愚草 藤原定家

大原や小塩の山も今日こそは 神代のことも思ひ出づらめ 古今集 在原業平

鶯の笠に縫ふてふ梅の花 折りてかざさん老隠るやと 古今集 源常

月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身一つはもとの身にして 古今集 在原業平

今日来ずは明日は雪とぞ降りなまし 消えずはありと花と見ましや 古今集 在原業平

百敷の大宮人は暇あれや 桜かざして今日も暮らしつ 新古今集 山部赤人

思ふこといはでたゞにや止みぬべき われに等しき人しなければ 伊勢物語の歌

春日野の若紫のすり衣 しのぶの乱れ限り知らずも 伊勢物語の歌

陸奥の忍ぶもぢずれ誰ゆえに 乱れんと思ふわれならなくに 古今集 源融

唐衣着つゝ馴れにし妻しあれば 遙々来ぬる旅をしぞ思ふ 古今集 在原業平

武蔵野は今日はな焼きそ若草の つまもこもれりわれもこもれり 伊勢物語 二条后

君やこしわれや行きけん思ほえず 夢か現か寝てかさめてか 古今集 贈答歌 女

かきくらす心の闇にまどひにき 夢現とは世人定めよ 古今集 贈答歌 業平


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昔の人は科学は知らなかったけれども
人生については深く感得していたと思われる

ゆめとうつつの言葉にしても
昔の人は今よりも一層はかなく頼りない人生を生きていたはずであることから考えると
夢と現はほとんど違わないと考えるのも理解できる

ここでの在原業平は老いをかみしめながら花を愛し忍ぶ恋に思いみだれる
文芸側の人間はそのような意識を発達させるものなのだろう