平安朝の貴族は、
男女二人でいる時に、
無論いろいろなことをして退屈はなかったのだが、
紙に言葉を書き付けて遊ぶことがあった。
絵であることもあり、
詩文の一部であることもあり、
自作の言葉であることもある。
それは現代の男女も同じで、
たとえばはやり歌を口ずさみ、
自らの心を託したりもする。
あるいはお互い知っている歌の歌詞の一部を口にする、
あるいはメールで送る、メモに書く、
ことにより、思いがけない心を伝え合ったりしている。
たとえば、深く思ってはいけないはずの人なのに、
いつしか思ってしまったことだと二人は知ってしまったりする。
松任谷由実などなら多少の年の差も飛び越えることができるし、
今井美樹でも、まあ、チャゲアスでも用は足りる。
共通の文化的背景がないと通じないけれど、
ふと書いた断片的な言葉で、
いままで潜在的だった心が顕在化することは、
大いにあることで、
死にたいなんて思っていなかったのに、
ふと「死にたい」と書いたことで、
決心が固まったりする。
関係に踏み込もうなどとは思っていなかったのに、
ふと「今日の予定キャンセルになりました」と
秘書が部長に伝えると、
そのあとはもう、シナリオをずっと考えていたみたいに、
事柄が罪深く進んでしまい、
世の中の定まり通り、
妻に知られ、男は曖昧に逃げ、
女はメンタルクリニックで安定剤をもらうのだ。
それはもう、秘書として配属されて、
部長の香りを嗅いだ時に決まったようなものだった。
シュールリアリズムの時代に
自動筆記という楽しみがあった。
精神分析の影響で、意識は検閲の結果であると考えられ、
検閲以前の無意識の層の記述をするために、
意識作用を排除して、無意識層をそのまま自動的に記述する。
男女が何かしながら、口から出る言葉、
男女が筆を遊びながら、ふと書き付ける言葉、
それは自動筆記だ。
そこに書かれた言葉は、
自分の心の意外な一面を教えてくれるという和歌で、
とても現代的な、上智大学心理学科卒業の真央ちゃん的歌である。