私が死んでしまえばわたくしの心の父はどうなるのだろう

私が死んでしまえばわたくしの心の父はどうなるのだろう
山崎方代

生涯独身 定職なし 小屋に住む

こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり

あかあかとほほけて並ぶきつね花死んでしまえばそれっきりだよ

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

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南天の実が知っていると表現してもいいが
宇宙に刻印されていると表現してもいいと思う

各一瞬の状態は電磁波となり放射されて宇宙を光の速度で進んでいる

だから宇宙の始まり・ビッグバンの電磁波は宇宙全体に満ちているはずで、
いまここで印画紙をうっすらと濁らせるのもビッグバンの成分なのだ
宇宙の端っこではビッグバンの成分が光の速度で進んでいるはずだ。

ビッグバンの状態が刻印されているのと同じく
我々の生きているこの状態もすべて刻印されているのである
すべての原子に宿るスピン

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一度だけ と並ぶようないい歌が
久保田万太郎にあるはずなのだが
思い出せなくてもどかしい

あはゆきのつもるつもりや砂の上 
いずれのおんときにや日永かな 
いそまきのしのびわさびの余寒かな 
うすもののみえすく嘘をつきにけり 
おもかげをしのぶ六日のあやめかな 
ことしより堅気のセルを着たりけり 
この恋よおもひきるべきさくらんぼ 
シクラメン花のうれひを葉にわかち 
たゝむかとおもへばひらく扇かな 
ただ海のみゆるばかりや冬座敷 
はや夏の海老をむしりて折りし箸 
パンにバタたつぷりつけて春惜む 
ふかざけのくせまたつきし蛙かな 
ふッつりと切つたる縁や石蕗の花 
ふみきりに海の音きこゆ豆の花 
ほととぎす根岸の里の俥宿 
もち古し夫婦の箸や冷奴 
ゆく春の耳掻き耳になじみけり 
ゆく春やみかけはただの田舎町 
一句二句三句四句五句枯野の句 
飲めるだけのめたるころのおでんかな 
何もかもあつけらかんと西日中 
何事もあきらめて春惜しみけり 
夏近し焼くるとよりは烹ゆる肉 
歌会始よしゐノいさむ、ことしなし 
花の留守目刺焼く火をおこしけり 
花曇かるく一ぜん食べにけり 
灰ふかく立てし火箸の夜長かな 
芥川龍之介佛大暑かな 
割りばしをわるしづごころきうりもみ 
泣蟲の杉村春子春の雪 
胸もとに蟲の入りたる浴衣かな 
仰山に猫ゐやはるは春灯 
金魚の荷嵐の中に下ろしけり 
九時は九時十時は十時白夜かな 
枯野はも縁の下までつヾきをり 
校長のかはるうはさや桐の花 
行末のことおもはるヽ端居かな 
子規にまなび蕪村にまなび桃青忌 
時計屋の時計春の夜どれがほんと 
借りて着る浴衣のなまじ似合ひけり 
周総理小春の眉の濃かりけり 
秋袷育ちがものをいひにけり 
秋扇たしかに帯にもどしけり 
春の夜のすこしもつれし話かな 
春麻布永坂布屋太兵衛かな 
初場所やかの伊之助の白き髭 
拭きこみし柱の艶や年忘 
新海苔の艶はなやげる封を切る  
神田川祭の中をながれけり 
神田川祭の中をながれけり          
親一人子一人蛍光りけり 
水の音くらきにきこえ十三夜 
水仙やホテル住ひに隣なく 
雛かざるなかに髪結来たりけり 
生さぬ仲の親子涼みてゐたりけり 
石段にふめよと落ちし椿かな 
短日の貼れてしまひし障子かな 
弾初の御祝儀の雪ふりにけり 
竹馬やいろはにほへとちじぢりに 
釣しのぶどこのなまりかまだぬけず 
度外れの遅参のマスクはづしけり 
東京にでなくていい日鷦鷯 
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 
日向ぼつこ日向がいやになりにけり 
熱燗のいつ身につきし手酌かな 
梅咲くや小さんといへば三代目 
暮遅や木の間がくれの五十鈴川 
奉公にいく誰彼や海贏廻し 

ないな
梅、ホトトギス、桜、そのあたりが入っていたように思うが。