例えば、人体の細胞を顯微鏡でのぞきます。
あらかじめ勉強していないと、
スケッチしなさいと言われても、
ぜんぜんできないものです。
あるがままを見つめて、そのままに描くなんて、できないのです。
勉強してから顯微鏡をのぞくと、
不思議なことに「見えて」くるものです。
見ることと観念は、切り離せないのです。
客観的な「見る」を積み重ねて、
「観念」に至るというのは、どうも正しい図式ではない。
観念があって、やっと見えてくることも多いのだと思います。
だから、「悪魔」とか、そんなありもしない観念を振り回して、
結果として「見え」てしまうこともあるわけです。
気をつけよう。