リーダー幻想と脱幻想

原初的な話、
マスコミの原型と言える口コミや物語のひとつの機能は
リーダーの幻想を作り出すことにあった
当然である

古事記などからしてそうである

そして現代、マスコミは芸能界や政治の世界の幻想を作り出し
それを脱幻想して追い落とし、その往復運動に忙しい

星野を持ち上げて落とす
長島・王は別格で脱幻想化されない

政治家は軒並み脱幻想化されている
二世や三世は理想化されてB層相手には幻想を振りまきやすい
物語を作りやすい
しかしそれはかなり嫉妬の入り交じった物語となる

現代マスコミは脱幻想化機能の方がずっと強い
生身の人間であればいろいろあるわけでそれは当然である

むしろ読売の渡辺氏の幻想化などが進行しているのだろう

しかしながらそうした状況は国民にとって不幸だと思う
フィクションであってもいいので
よいリーダーを据えて
よいリーダーと擬製されたその人はよいリーダーたろうと真剣に努め
そのようにして社会を健全な方向に持っていけないものだろうかと思う

選挙直前の給付金などは
あまりにもひどい政治家とあまりにもひどい国民の政治劇であると
あまりにもひどいマスコミがいい
あまりにもひどい批評家的国民があきれて見せ
しかし何も事態は変わらない