谷川俊太郎 3

私は毎日のようにくり返しくり返しそれを聞いた。私はただ感動していた。私は生まれて初めて感動ということを知ったのだった。私はその感動からくるどんな思念もなく、ただ純粋にひたすらに音楽に身をまかせていた。そしてそうすることで、私は不思議に元気づけられるのだった。

人を楽しませる音楽はある。人を慰める音楽もある。だが、人をはげます音楽はそう沢山あるものではない。ベートーヴェンの音楽は人をはげます。それはリズムの空元気やフォルテシモのこけおどしではない。もっと内面から、たとえその音楽がどんなにはげしくとも、さらがら救いに似た静かな力強さでわれわれをはげましてくれるのだ。
それらは単なる凱歌以上のものだ。私にとって殆ど宗教的な意味を持っていた。それらは生命の根本からの最も力強いほめ歌なのだ。それは最も効力ある薬でもある。ベートーヴェンの音楽は人を生へと駆り立てる。

彼は沈黙に初めて人間的な戦いを挑み、そして勝ったのだ。

どんなに心の乱れている時にも、いや心だけではない私の肉体の病んでいる時にも、私はこの始まりの音を聞くと落ち着くことが出来る。子守歌のように、それは私を日常的なものから眠らせてしまう。そして私はもっと大きなもの、もっと深く力強いものに目覚め始める。

これは行為への祈りなのだ。ベートーヴェンは諦念の中で何もせずにじっとしてはいられない。彼はあきらめを知りつつも、人間の出来る限りのことをしたいと欲する。

私は沈黙してしまう。それは言葉にすることの出来るにしてはあまりに強く大きい。私はただ太陽に身をさらすように、その烈しさに身をさらす。そうするだけで、ひとつの大きな力が私を貫き、考えることもなく、思うこともなく、ただ馬鹿のように涙を流しているだけで、私は強くなっている。