強迫性障害というほど明確できつい症状でなくても
強迫性の心性が生活のいろいろな場面で露出している場合は多くあり
興味深いことである
そもそも学校の勉強は強迫性傾向のある人に有利なようにできている
漢字とか歴史とか地理とか
原理も原則もなく
忘れてしまえばいくら考えても分かりようもない
そんなものを扱うには強迫性の心性が便利である
数学とか理科については原理も原則もあるので
強迫性がなくても頭がよければ分かる
農耕民族の心性と強迫性の心性は重なるだろうと
酒の席などでいわれる
確かに几帳面な漁師がいたとして、
一匹で100万円なんていう魚をつれるわけでもない
几帳面な農家ならかなり確実に稼ぐことができる
対人関係でも
確実なところがあるので信用は出るだろう
魚屋さんなどは朝早く仕入れにいってかなりの重労働であるが
強迫性がなければ続けられないとの意見がある
強迫性の人が年を取って頑固が加わると周囲はつきあいにくい
強迫性の人が認知症になるとこれもまたつきあいにくいところがある
几帳面という性格傾向と
強迫性障害という病気はどう関係しているのか
まだすっきりした説明はない
ばかばかしいと思っていても
やらずにはいられない
不潔ではないと頭で承知はしていても手洗いをやめられない
一回洗ったからいいはずだと理解はしているが手洗いをやめられない
不潔だと思い込んでいれば妄想である
しかし不潔だとは思っていないので妄想でしはないといわれる
そして
行為の点で止められないので強迫性障害と名付けている
考えてみれば
内心の確信としては不潔ではないのだが
行為のレベルでの確信としては不潔であるという妄想が居座っているものとも考えられる
つまり、
人間の脳の基本を自動反応機械として、
それに付随して発達した部分が自意識であるとすると、
自意識の部分では妄想はない、
自動反応部分で妄想がある、
これが強迫性障害である。
だからマウスにでも強迫性障害は起こるだろう。
自意識部分の方があとに発達した部分なので壊れやすくて
被害妄想などになりやすい
自動反応機械部分はそれに比較すれば安定したシステムである。
Windoewsが時間が経てば次第に安定するようなものだ
子どもの教育で反復学習をするというのは
強迫性の推進をしているわけで
やはりどの人も強迫性成分を発達させることになる
得に優等生はそうだと思う