父性像と自己愛

健全な自己愛は必要だけれど
未熟な自己愛は成熟とともに克服されなければならない

克服されないと
未熟なままで
自分の都合で現実を歪めて認知して
結局嘘とかうぬぼれで辻褄が合わなくなるようなことになる

そのときただ単に現実を告知されるのはかなりつらい
希望も一緒に見えていればいい

父親像はそのようなものだ

子どもの自分をいったん否定するが
大人になれば父親のように現実と折り合いがつけられると希望を持てる
そうなれば自惚れている必要もないし嘘をつく必要もないし
社会の受け入れられる自分を見つけることができるはずなのだ
モラトリアムもつまらないと思えるはずだ

私はモラトリアムはすてきだし
しばらくそのままでいいとは思う
人生は長いのだから
そして夢は大きい方がいいし
不可能にもチャレンジした方がいいと思うから

でもそれは社会が複雑になったせいで
また本人の目標が高いせいで
修行期間が長いのだと思いたいのだが
一方で父性像の欠如により
いつまでも足踏みしていることもあるだろうと思う