2009-01

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花のいろは霞にこめて見せずとも香をだにぬすめ春の山風

遍昭花は咲いたけど霞がひどくて見えないよ春の山風よせめて花の香りを運んでおくれまことにきれいなイメージであるが、霞がたれ込めて見えない桜とは、深窓の令嬢である。別訳令嬢の姿が無理なら香りだけでもというわけだ。
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崇徳院 別の歌 うたた寝は……

うたた寝は 荻ふく風に 驚けど ながき夢路ぞ 覚むるときなきうたたねならば荻を吹き外を渡る風に目が覚めたりもするものであるが、人生という長き夢路は覚めるときがないと解釈され、まことに素晴らしい。長き夢路で見る夢はどうしたらよいものだろう夢と...
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崇徳院の数奇な運命

崇徳院は祖父と母、つまり嫁との間に生まれた。異母弟に追い出された。保元の乱で敗北、讃岐に流されて、配所にて死す。怨霊は後世の人々を恐怖せしめた。朝夕に花待つころは思い寝の夢のうちにぞ咲きはじめける花が咲いた、散ったを歌うのは当然であるが、花...
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君ならで誰にか見せん梅の花いろをも香をも知る人ぞ知る

和歌が恋愛の大切なアイテムであった時代、花を歌うことは、花のように咲く女を讃えることであった。女も自分を花として詠んだ。あなた以外の誰にも見せません梅の花の色も香もそのよさを知っているのはあなただけということになるが、大人の社会では、あなた...
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行く春や鳥啼き魚の目は泪 芭蕉

有名であるが、魚の目に泪との趣向は、あまり、著しいものではない。鳥は天と地を往還するものであり、魂の象徴である。鳥が泪するならそれは詩韻がある。ところが俳句の中では「鳥啼き魚の目は泪」となっていて、鳥と泪の関連は保持されていると解説にある。...
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金魚

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大晦日 鄙の家にも ふたあかり

大晦日 鄙の家にも ふたあかり鄙の家は 自分の家のこと鄙びた家を理想として住んでいるのでこのように呼ぶふたあかり は灯りが二つ灯っているということ*****こんな情景はずっと昔のことでいまは暮れても明けても明かりは一つだけであるそしてそれで...
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哺乳類の記憶

バイソンにしても象にしても草食性で春の新しい緑の草をことのほか好むイネ科の草は成長点が根元にあり、従って動物が草の先端を食べたとしても、成長は維持される。私たち人間が若芽の季節にことのほかうれしく命を祝福したくなるのは、こうした哺乳類の記憶...
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お世話する自分とお世話される自分

おかしな事だけれど最近は自分が自分を世話する感覚があるたとえば親が子どもの世話をするみたいに私の一部分が私の一部分を配慮する少しは栄養のあるものも食べさせないといけないなとかあんまり苦しい思いばかりさせてもいけないなとか自分のことならばいく...
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百合の花の強い香りが正月にふさわしい

正月にふさわしい百合の花の強い香り