Bunkamuraでピカソとクレー、その他ドイツの画家たち
クレーは模様に近く
したがって日本人には人気があると思う
ピカソとかミロとかについて改めて思うのだが
絵の衝撃というのは
たとえば完全な女性の裸体であったり、完全な風景であったりがまず素朴にあると思う。
日本画でも富士山とか櫻の花とか見事だと思う。
女性の姿は最近は写真とかの技法がずっと発達していて昔ほどの衝撃はない。
絵画の変貌は写真やビデオ技術の開発とも関係していると思う。
似姿を残しておくには写真やビデオのほうがいいと考えられる。
スーパーリアリズムでもなければ絵は写真的でない何かをしなければならず、
ピカソ的な方向は必然だっただろう。
しかしである
ピカソを見て
昔の美しかった女を思い出す人もいないだろうと思う
役に立たない
意味が解体している
解体した意味を再構成しなければならない
それを見るものに強いている
耳と鼻と目が普通の位置にない
ずれたままである
遠景と近景が混じっていて普通ではない
そんなところから普通と思っていることの点検が始まる
それは意味のあることだけれど
楽しいものでもないし安らぎでもない
ピカソを見てワインを飲んでもあまりおいしくもならない
いろいろ考え直すきっかけにはなる
だからといっておもしろいものでもないし
ふけるものでもない
ピカソの絵から音楽が鳴る感じはするけれど
バッハではない
ジャズだと思うけれど
モーツァルトならいい感じもする
その点でモーツァルトはやはりかなりすごい
共感はできないけれど
まあ説明を聞けばやっと理解はできなくもない
という程度のものだ