歌と詩のあいだ 

歌と詩のあいだ 和漢比較文学論こう 岩波書店

月を望んで、歌人は懐旧の情に耽り、詩人は二千里外の友を思う。
和漢の言葉の黄砂の上に成立する歌と詩。
万葉集から幕末の漢詩人までを視野に入れる。
漢語表現の受容と変容。

序説――「月」をめぐる和漢比較文学論攷
 
I 部  歌語と詩語
 
  一 歌と詩のあいだ
  二 「吹」と「ふく」――和習の背景
  三 酒坏に花を
  四 酒坏の月,水の上の花影
  五 目に見ぬ花
  六 道をうづむ花
  七 餞別の扇
  八 形見の鏡
  九 和漢聯句ひろいよみ
 
II 部  漢文学の受容と変容
 
  一 夢
  二 唐紅に水くくるとは――業平の和魂漢才
  三 『蜻蛉日記』と漢文学
  四 聞き紛う音
  五 蕪村の発句と漢文学
  六 青頭巾の問い――江月照松風吹,永夜清宵何所為
  七 成島柳北の青春
 
あとがき

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この手のものが一番好きだ。
漢詩は不思議なもので、
元の意味もいいし、
文字で書いたときの形もいい。
中国音もいいのだと思うけれど、
それは時代と地域によっても違うようで、
しかし日本語で読み下しても、とてもいいのが不思議だ。

それがいいのだと何度も教育されて、
そのような美意識が日本語の中に溶け込んでいるから、
日本語を読み書きするうちに、漢詩が好きになってしまうのだろう。

日本語にしても偶然いいのではなくて、
いいと思うように日本語の中に仕組みが仕込まれているということだ。

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しかしそれにしても、漢文学を受容し、日本的な美意識の中に取り込み、感動しているなどは、
ご先祖とはいいながら、見事なものだ。

漢方薬でもそのようなことは実はあって、
日本の漢方は、中国の漢方のそのままではない。

富山医科薬科大学では、
和漢薬と呼んでいる。漢方を基本にして、日本的にしたものであり、独自のものである。

本書の歌と詩のあいだにならって言えば、
漢方薬と、和漢薬のあいだということになる。

面白というべきか複雑というべきか、中間には朝鮮半島があり、
「チャングム」さんも漢方処方していて、おもしろかった。
脈診したり望診、舌診したり、結果として日本の現在と同じ名前の処方をしたり、
共通言語として通じる部分がある。

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最近は日本語の自由さをとても感じている。
横書きで書くことさえ承認すれば、
ヨーロッパ各国語も、カタカナでもいいし、原語のままでもよくて、取り入れられる。
各変化もないし、単数複数も気にしなくていいし、
名詞には男性も女性もないから気楽でいい。

原語のままで書いておけば、
日本語の中で一層際立ち、
何がポイントなのか、わかり易くなってありがたい。

機械翻訳でもありがたいと想うのは、そんな事情もある。

大事な単語さえ分かれば、大体は推定できる。
読むべきものを選択したら、あとは細かく検討すればいい。

そう思えば、かな文字というのは、大体は読み飛ばしてもいい文字となる。
漢字の塊と、カタカナの塊、そして英語の塊を注意すれば、大体は足りる。
日本語はかなり便利だと思う。
純化しようという圧力がないから大変よい。
中央政府そのもの、文部科学省そのものが、カタカナ英語を頻発して、
翻訳しようとする意志がまったくない。
そしてそれはいいことだと私は思う。漢語と英語をかな文字でくっつけていけば、
意味が分かるのだから、大変高級なのだ。