驚くべき言葉。
たとえば、
これほど長いあいだ孤独と不幸を味わったものの、最終的にはわたしは自分のことを幸福と考えるようになった。いまでは、「ふさわしく」あること、しかるべきところに収まっている(たとえば、まさに本拠地にあるというような)ことは重要ではなく、望ましくないとさえ思えるようになってきた。あるべきところから外れ、さ迷い続けるのがよい。決して家など所有せず、どのような場所にあっても決して過度にくつろぐようなことのないほうがよいのだ。
というのである。
そして本書のタイトルは、「Out of place」である。
またたとえば、このように語る。
不眠は、わたしにとって、どんな代償を払っても確保したいほど
好ましい状態である。
流れ続け、離れ、ずれていて、つねに動き続けるのがよい。
これほど多くの不協和音を人生に抱え込んだ結果、かえってわたしは、
どこかぴったりこない、何かずれているというあり方のほうを、
あえて選ぶことを身につけたのである。
このような言葉を読んでしまえば、
多分、男よりも女がサイードを嫌悪するだろう。
貧乏人よりも金持ちが彼を嫌悪するだろう。
現在の幸福を手放したくない人は彼を嫌悪するだろう。
人の親である人は彼を隠蔽しようとするだろう。
Out of place を さまよい続けよというのだから。
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遠い場所の記憶
それは何度も思い出すもので
遠いながら自分には親しいものであるはずだ
遠いけれど生々しい
薄れることはない
その場所から離れているのに
いつまでも何度でも思い出すのはなぜなのだろう
むしろ個体発生の記憶に関係しているのだろう
遠いが根源的な場所なのだろう
発生の記憶をたどることで
自分を癒しているのだろう
場所の記憶は
時間の記憶でもある
一番遠く一番深い記憶が
自分を支配し続ける
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過度にくつろがない
過度に眠らない
適度の不快と
適度の不眠とが
自分にふさわしいと
悠々と言ってのける自信
挑発的である
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日本では最近は
頑張らない
ゆっくり行こう
省エネモードで
もったいない
オンリーワンがいい
そんな掛け声ばかりが聞こえる
当然日本は安くなる
安くなるからたくさん働かなくてはならなくて
頑張らざるを得なくなっているのに
まだ頑張るなと言う
頑張らないという本を
頑張って何度も何度も宣伝し続けて売り続けている
こだわらないことにこだわっている
落語に出てくるご隠居さんみたいな感じだ
焦っていると恥ずかしいらしい
凛としたとか宣伝によく使われる
品格も宣伝用語になった
江戸時代の武士のように
餓えてひもじくてもものをほしがらず
他人をうらやましいとも思うなということらしいが
武士だってそんなことはできなかったに違いない