という作品があり、翻訳の世界では有名である。
内容はいまとなってはどうと言うこともないようなものである。
この本の話になって、
なるほど、人間の性欲というものはおかしなものだと思う。
本来、種の繁栄というものが性欲の基本である。
しかしこの本で扱われているのは、
生徒の前で露出を強制されて興奮する女教師
女教師に露出を強制して興奮する生徒
この作品を書いた人
翻訳した人
読む人
であって、
種の繁栄に役立ったのはこの本でお金を稼いだ出版社の人たちくらいだろう。
人間の脳では
性欲回路と他の回路が微妙に混乱しているようで
話がややこしくもなり
思いがけない広がりを持ちもする
攻撃性とか征服欲とかそんな話と関係する
いろいろな回路と混じり合って人間を突き動かすのが性欲回路で
このあたりでフロイトは重要な洞察を提案していると思う
逆に
人間の行動を分析することで
脳の回路がどのように構成されているかを推定することができると思う
「女教師」が古典のように扱われているということは
脳におけるこの回路が古典的な回路であるということになる
ますます不思議なものだ
考え方としては
仮想的に、「女教師」に興味がある群と
興味がない群を分けて、
時間が経った後にどちらが繁殖力が強いかを考えればよいわけだ
しかしどう考えても「女教師」に対する興味が繁殖力を強化するとも思えないのだが
そこをさらに深く洞察して内的な関連を発見すれば
フロイト的ということになるのだろう
こういう作品が実際に存在し、商売になっていることを考えれば、
人間の脳回路について何かのヒントを提示しているのだろうと思う
男の子はそんなもんでしょ、という意見はそうだろうと思うが
女の子はどうなのかについてはまだ謎が多いと思う
この本の面白いところは結局
女性が欲求を操っているという景色だと思う
それは作者である男性の側の性的欲求なのか
作者が想定している読者の欲求なのか
それとも作者が措定している女性の欲求なのか
いくつかのレベルで想定できる
それは特殊な例外というなら
なぜこのような書物がその後も反復生産されているのか
そのようないくつかの疑問がある