経済危機が弱者を直撃
経済危機で一番先に不利な状況になるのが弱者ということの定義でもあるのだから
当然といえば当然で
それがいやだから平素から必死で弱者でなくなろうとして努力してきたわけだろう
と安岡正篤先生に言われそうである
病気や失業に直面しても何とか暮らしていけるのがセイフティーネットだ
しかしそれを国家が社会保障の形で行うのか家族・血縁や地域共同体・地縁が行うのか
考える必要もある
2008年の時点では世相を見て家族の崩壊を感じている
ドラマ「風のガーデン」で描かれていた
助け合うというのならまず隣人を助けるのが普通で
どうして国家を機能させて回りくどく助けなければならないのか腑に落ちない
まことに効率が悪い
役所に行くより家族を頼るのが昔の日本人だったと思う
背景にいろいろな理由があるとは思うが
家族と仲良くしておくというのは基本のセイフティーネットだと思う
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「六中観(りくちゅうかん)」 安岡正篤
忙 中 閑 あ り (忙中につかんだ閑こそ本当の閑である)
苦 中 楽 あ り (苦味の中の甘味こそ真の甘味である)
死 中 活 あ り (身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ)
壷 中 天 あ り (奥床しき別天地)
意 中 人 あ り (何ごとによらず人材の用意がある)
腹 中 書 あ り (腹中に哲学、信念がある。万巻の書がある)
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「ただの閑は退屈して精神が散じてしまう。
忙中に掴んだ閑こそ本当の閑でありまして、
激しい空襲の中でも10分、20分の短い閑に
悠々と一座禅、一提唱できましたが、
こういうのが忙中の閑であります。」
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安岡教学の神髄に「人物学」というものがあります。
その人物の条件として、
1、「元気、気魄」が旺盛であること
2、「志」を持っていること
3、その志をいつも持ちつづける「節操」があること
4、志にそっていかになすべきか、こうあるべきだという
「見識」、活断がたつこと
5、その見識にしたがって、物に動かない、
つまり誘惑や脅威に動かない。
錬磨された見識、すなわち「胆識」があること
人物となるためには、よほどの元気と志、
そしてあらゆる経験をなめ尽くすほどの勇気が必要ということです。
人物となるためには、ぜひとも次の3つを経験しなければならないと、
いつか本で読んだことがあります。
1、浪人生活 (羽振りのよかったときには近寄って来た人間も、
落ちぶれるとともに誰も近寄らなくなる)
2、闘病生活 (死との対面は誰にも頼ることができない)
3、牢獄生活 (社会的な接点を全て奪われ、断ち切られたとき、
真の自己と向かい合うことになる)
偉人の自伝を読んでみると、確かにこうした、
一見ありがたくない境遇の中で人物が練られ、
時勢を救う力ともなっているのであります。
1はあるとしても2と3はどうでしょうか。
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切羽詰まった状況下においては、
「現実をどうするか」ということよりも、
「わが心をいかにするか」ということが大問題です。
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人間はどんな境遇にあろうとも、自分だけの壷中の天を創りえるものです。
私たちのまわりにも「えっ、この人にこんな趣味があったの」とか、
「こんな奥床しい芸を持っていたのか」とか、
驚かされることがあります。
こうした自分の別天地を持っている人というのは、
いかなる逆境にあろうとも、救われる人です。
音楽、芸術、信念、信仰、こうしたものを持つことによって、
意に満たない俗生活から解放されます。
そうした壷中の天は床しいものです。
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「意中有人」は、恋人、伴りょに限らず、
何時いかなるときでも間に合う人を知っている、持っているということです。
人生を語り合うにはあの友、病気になったらあの先生、
死んだときにはあの坊さん・・・
出世して役職について、さて周囲を固めようと思ったが、
自分の手足として動いてくれる人がいなかったということでは、
とうてい事はなしえないものです。
日頃から、意中の人を射止めておくことが大事です。