リベットの実験に関する私のモデルでいうと
自意識は錯覚であって
無意識が決定した事項についていちいち能動性を生成して感覚しているに過ぎない
そしてその能動性が壊れるととても苦しいと感覚するようにできている
従ってフロイトのいうように
無意識の欲求を意識が蓋をして抑圧しているというモデルではないことになる。
無意識内部での二つの欲求の葛藤が生じ、その結果を自意識は受け取るだけである。
道徳とか合理性とかを無意識に対立したものとしてみたり、
原始的欲求を無意識の働きと見たりするのは
多分違うのではないかと予想する。
自意識がなくても倫理観や合理的判断に相当するものは存在するのではないだろうか。