東京国立博物館本館11室 仏像彫刻

奈良に行きたいと思っていたのは、
仏像関係をゆっくりと、その本来の場所で、
信仰の対象として、眺めてみたいと思ったからだった。

しかしこうして上野の博物館で見るのも、
大変よかった。お寺にある状態よりは、観察しやすい。
ライトも適切。

以前に比較して、休憩のための椅子が増えている。
親切になったものだ。
多分、お歳を召した観覧者が増えているのだろう。

撮影禁止の表示もあったが、表示のないものの前では、
カメラで撮影しているようだった。
許可されている様子だった。

仏像や、仏様を守るいろんな像は、
今でいえば、仮面ライダーなどを作る感覚に似ているのだと思う。
架空のものであり、途方もなく強いものであり、(おおむね)正義の味方であり、
最新の兵器または技を身につけている。
仏教は最先端文明であったわけで、
武装の様子を見ていて私は仮面ライダーのデザインを連想した。

逆に言えば、現代の仮面ライダーは
奈良の仏像の範囲を超えていないのだ。
このまんまを動く像にして、映画に使ったらすごいと思う。

表情も、この上なく穏やかな表情あり、
また一方で、憤怒に燃える、恐ろしい表情あり。
あ、この顔は、貴の花のあの有名な表情だと思ったりする。
このような極限の表情を、
写真もビデオもない時代の人々はどのようにして知ったものだろうか。

おおむね、健康を祈り、死者の平安を祈ることが多いのだと思う。
現世利益などは、ずっと最近になってのことだと思う。

何かを真剣に祈りたい、
もう何も願望しない私はそう思った。

映画「晩秋」でも、「努力すれば何でもできる国なんだ、アメリカは」と言っていた。
また、新聞で「血液型を気にする日本人をメジャーリーガーは理解できない。彼らは運命論ではなく、自分の努力を信じている」と書かれていた。
私も何かを強く願望したい。