不幸への対処 進歩する

不幸は人生に起こらない方がいいだろうが
どうしても起こるもので
何とか対処しなくてはならない

不幸が引き続くとそれなりに対処が出来るようになってくる

まず現実的に対処できるかどうか、考える
人に相談する
だめなら、じっと待つ
待つ間につらかったら、気を紛らす

電車の中で必死に携帯電話をいじっている人が多いものだが
そのことで本質的な問題を考えないようにしているのだ

考えてみれば人生において本質的な問題があるのかどうかよく分からない
深く考えて生きても
ほとんど考えないで生きても
何も違いはないかもしれない

私の祖父はよく考える人だった
私の祖母はほとんどなにも考えない人だった
たぶん祖母の方が幸せな人生だった

本質的な問題が何かあるとして
それを解決できることは稀である
ただ待つことが出来るだけ
待つ間につらかったら忘れることが出来るだけ
そのうち死んでしまうから
問題は解決しなくても消滅してしまう

ざっとそんな事情だと飲み込んで
理性的に対処するのが得策である

おおむね不幸の原因は病気・怪我と他人である

病気・怪我の場合は分かりやすい
専門家に相談して解決できればそれでいいし
解決できなければ我慢して忘れるしかない

言葉で書くとたったこれだけであるが
発見も衝撃的だし
専門家のいうことを納得するにも抵抗があるし
解決できない場合に障害が残ったり死亡したりするのだから我慢して受け容れるというのも難しいのだけれど
とにかく言葉で言えばそういうことになる

我慢することや忘れることを助けるために宗教があるし様々な気散じがある

もう一つの不幸の種である他人についてはもっと複雑である
病気・怪我は回避できればそれでいいのであるが
他人というものは幸福をもたらす面と不幸をもたらす面との両面があり
人間は愚かだから幸福の面は享受したいと願い、
不幸の面は回避したいと願う、
しかし幸福と不幸は同時に一人の他人の中に含まれているのであって、
分離することは出来ない。

ハリネズミまたはヤマアラシの話で有名で
そばにいると暖かいのだけれど棘が刺さって痛いのだ
痛くない程度まで離れると今度は寒い

そのような構造であるから、
他人と接する場合、
この人が連れて来る幸福と不幸の内容をそれぞれ分別して
よく考えることだ。
100%幸福だけを連れて来る人は原理的にいないのだと知る必要がある

自分が不幸に弱いタイプだと思うならば
他人との距離を遠く保っておいた方がいい
自分は不幸が怖くて幸福を諦めることは出来ないとかんがえるならば
他人との距離を縮めてみればよい

書けばたったこれだけである

具体的なことは自分で考えるしかない
または天使に聞くしかない