相対的に不幸だから相対的に幸福な人を逆恨みして、八つ当たりする
人は自分に割り当てられた不幸をどのようにして納得するかと言えば
いずれにしても難しい
誰かに助けてもらいたくなる
助けてもらうひとつの形式が
逆恨みと八つ当たりである
*****
他人から見ればたったそれだけのことで
そんなに不幸だと思わなくてもいいのにと言う程度のことでも
本人にとっては耐え難いこともある
人間はいろいろなのだ
新しい猫ちゃんが来ても
隣の猫ちゃんのほうがかわいいなと思ったら
もう不幸が始まる
逆恨みしたり八つ当たりしたりする
猫が飼えるだけ幸せだと謙虚に思う人は少ないものだ
*****
見方を変えれば
他人の不幸につきあうひとつの形式かもしれない
聖書でヨブはなんだかよく分からない試練を与えられるのだと思うが
発生源の不明確な逆恨みと八つ当たりであるような気もする
抽象化した逆恨みと八つ当たりとでも言うべきか
*****
逆恨みされたり八つ当たりされたりするときは
自分が相対的に幸せなのだろうと思っていい
他人の不幸につきあうのも
税金のようなもので
この世を生きる仕方のない負担である
不幸な人はいるものなのだから
そして誰でも不幸になる可能性がある
いつでもある
だから他人の不幸に対しても共感的でありたいし
その際には多少の逆恨みも八つ当たりも受け容れて
ともに不幸を解消すれば大変よいのだが
いずれにしても簡単ではない
*****
自分に起こった不幸を他人に及ぼさないことを自分の主義にしている人もいて
大変立派なことである
なかなか出来ることではない
しかし実際にいるのであるから
出来ないことではないらしい
凡人には難しい
愚痴のひとつも言ってしまうものだ