寺山修司という一代の天才が残したものは何だろう
血筋の高貴でない私にも
何かできるかもしれないと
若者をも老人をも勇気づける
ことだったかもしれない
初期の詩を引用してみる
飛べない女がひとりいて、いつも見あげる空でした。
……
わたしはうそをつきました。自殺もできずに遺書を書き、愛しもせずに人を抱き、人のせりふで泣き笑い。
人生たかが花いちりん。軽い花ならタンポポの、わたさえ空を飛べるのに、
うそでかためた銀幕へ、十九のはだをさらしつつ、演って極楽、観て地獄!
そうそう、これは、吉永小百合が餘部鉄橋のある温泉街で、芸者をしていた時の雰囲気だ
ストリップ小屋には拒食症みたいな女が出演していたのだった
またこれは
銚子の菊地食堂のとなりのいかがわしい小屋なのだ
「演って極楽、観て地獄!」
このからみつく感覚が菊地成孔のサックスの音だ
古典和歌をこのところまとめて読んでいるのだが、
言葉を発するという点で共通なのに
なんと違うことだろう
生きるという言葉でくくるとしても、
人生はこれほど違うものなのかと思ってしまう
短歌の中には
いまでもきらめきを失わない言葉がある
やはり時代を超えていて、
和歌の伝統を超えている。
こういう人がいたんだなあと
驚くばかりだ。