人生のある局面においては
ただ耐える時間を分かち合うことしかできないことがある
だから静かに耐えよう
キリスト教の教会に親しみがあればそれはそれで助けになるけれど
季節ごとに催し物があったりして
いろいろと付き合いも大変なものである
仏教でもいいし合唱サークルでもいいし
何でもいいのだけれど
ある程度世俗的で常識的でしかしある程度パーソナルな付き合いのある場所で
ともに耐える人を見つけよう
一人ではつらいこともあるのは事実だと思う
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ほかの社会ではよく分からないが
日本の伝統的な社会では
「もうここまで来たからには、すべてを胸にしまって、一人で始末してほしい」というような
「要請」が発せられる場合があると思う。
それは他殺ではないけれど
自殺を限りなく期待されるというわけで
実に残酷なものだと思う。
キリスト教では自殺は禁じられているので
自殺を期待することもいけないし
考えることもいけない
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それと表裏の現象であるが
ある人を自殺に追い込むように計画する人もいるのだろうと思う
殺人にはならないけれど
ほとんど殺人と同じである
刑法としては殺人にならないだけで
倫理の次元で言えば殺人と同じである
そのようなことをして
なぜか平気で生きていられる人がいるというのは
どういう社会なのだろうか
子供がトンボの頭を残酷にもぎ取るように
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しかしそこまでは現実なのだと認識しよう
そのようなこともある世の中である
あなたの身の上に起こったとしても
何も不思議はないのだ
起こったとしても驚かないで対処しよう
そういえばこんなこともあるなと書いてあったなと思い出してほしい
犯罪すれすれのことや
病気や
老化や死
裏切りもあり
愛情の面ならば不倫もある
それが人生である
少しの間泣いたら
また共に歩き出そうではないか
歩けば新しい景色が見えてくる
それでいい
一緒に歩こう