脳死の議論に見られるように、
もし本当に、
脳の機能が人間であることの本質と関わっているなら、
人間の本質は情報でしかない。
私見では、人間であることの本質は脳に関係はしているが、
脳だけに関係しているわけではない。
脳がないばあいでも、
人間的に存在することは可能であるとさえ、考える。
それはいいとして、話を限定して、
人間の活動の本質が脳の中の活動に還元されるなら、
人間とはつまりは情報なのだ。
だとすれば、
脳の中の情報をすべてコンピュータに移動すれば、
生きることなど必要ないはずだ。
そういうことになる。
コンピュータの中で、
新しい体験をして、そこから何かを学ぶことさえ、可能である。
その人らしさを形成することもできる。
複数のアルゴリズムを選択適用するメタ-アルゴリズムをくっつけておけば、
多分、機能してくれるだろう。
しかし、自意識の発生が説明できない。
自意識はなくても、とても人間らしく生きられるのである。
私の祖母などは自意識が薄い人間だろうと思う。
その方がむしろ人間らしいとも思える。
しかしそれでも、自意識の発生が説明できないことが、
わたしには謎である。
そこで行き止まりになっている以上、
いかに生きるかの問いに対しても、
行き止まりである。
処世訓はいくらでもある。
しかし、論理の基盤は、ない。