フォーレのレクイエム 1994年

ボストン交響楽団
指揮 小澤 征爾
 
真夜中に 聴いている
 
合唱が含まれている曲は 音量をしぼって聴くのには つらいものがある
合唱部分で 急に大音量になってしまい 音量を下げると 他の部分が聞こえない
 
クラシックに詳しい友人が 『フォーレク』 と 呼んでいた
 
縮めるのか
 
社交ダンス出身の人が アルゼンチンタンゴ を 『アルタン』 と 呼ぶのに等しい
 
そにには リスペクト が 感じられない
 
親しみとは 別な ものだろう

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最近ヴェルディのレクイエムの一部分がコマーシャルで流れている

モーツァルトのレクイエムが流行したことがある
たぶん30年くらい前になるだろう
モツレクといっていた

レクイエムのなかでもフォーレはやはり別格の良さがある
怒りの日がない構成なのでやさしいとかいう

コマーシャルで使われているヴェルディのレクイエムは
その怒りの日の部分
何のコマーシャルか分からない
台所にいて音だけ聞いたのだと思う

最後の審判の日、すべては裁かれる
なんという壮大な審判
「すべて」が裁かれるとは

そして「すべて」でなければ意味がないのだ

人によって感じ方は違うと思うが
わたしは最後の審判を強く望む
公正無比な審判を強く望む