「子どもとメディア」問題

ブログで「死ね」、直後に少女自殺…書き込みの同級生送検
 北九州市小倉北区の私立高1年女子生徒(16)が「ホームページ上で『死ね』と書かれた」などとする遺書を残して5月に自殺した問題で、福岡県警は10日、元同級生の少女(15)(自主退学)を侮辱容疑で福岡地検小倉支部に書類送検した。

 発表によると、少女は在学中だった5月26、27日、誰でも閲覧可能なインターネット上の自分のブログに「死ね」などと書き込み、女子生徒を侮辱した疑い。

 少女は「女子生徒と不仲になり、カッとなって書き込んだ。悪いことをした」と供述しているという。

 女子生徒の父親(51)が侮辱容疑と自殺教唆容疑で、少女を県警に告訴していた。

 県警などによると、女子生徒は書き込みがあった後の5月29日朝、自宅で首をつって自殺しているのが見つかった。遺書では少女を名指しし、「ホームページに『葬式行ってやる。早く死ね』などと何度も書いていました。本当につらかったです」などとあった。

 県警は、自殺教唆容疑についても捜査書類を同支部に送付したが、「書き込みと自殺の結びつきは判明しておらず、少女には自殺を勧める意思もなかった」として同容疑の適用は困難と説明している。

(2008年10月10日23時15分  読売新聞)

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短い文章で断定してはいけないと
前提をおいた上で、の話である。
書いたことだけを切り取って因果関係を断定するのは幼稚である。
前後の状況をよく吟味しなければならない。

言葉の断片を問題にするのは揚げ足取りであることが多い。
そのことも前提にしての議論である。

書いた方は自分のしたことに無自覚。
読んだ方は過剰警戒型で、その心理的傷については、なんと言っていいのか言葉もない。
いっそのこと「怖いから読めない」くらい臆病になれば良かったのだけれど
読んでしまったのは残念なことだ。
そのあと何とか自分を守ることができなかったかと悔やまれる。

書いた方は
言葉や態度はそのくらい人を傷つけるのだと
知ることが必要ではないか。

鈍感な人もいるが敏感な人もいるのだと知ることが必要ではないか。
場合によっては無自覚なのではなくて相手が敏感だと思うからこそやっている面もあって、
人間というものはなかなか残酷だと思う。

読んだ方はこんな時はどうやって落ち着くかを知っておいた方が良かった。
ネットで被害を受けたらどうしたらよいかを知っておけば良かった。

「書き込みと自殺の結びつきは判明しておらず、少女には自殺を勧める意思もなかった」
との県警の説明もその真偽と真意をよく考えなければならないが、
法律はそのように判断するものなのだろうか。
何人死ねば因果関係が判明するのだろうか。

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いずれにしてもネット教育をして、
傷つける側も傷つけられる側も救わなければならない。

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不仲になり、カッとなって書き込んだ。悪いことをした
というあたりは
家庭内暴力のありようとよく似ている。

不仲になり、カッとなって暴力に至った。悪いことをした
とよく陳述する。

カッとなり暴力に至ることの内容を分けると、
元々そういう性格だからという場合から、
いわれた言葉があんまりで、この人の場合は、
暴力に訴えてしまったのだろうという場合まで、
大きな幅がある。
勿論、どんな場合でも暴力はいけない。
個人でも国家でも対テロでも。

そこで人の心にこそ憲法9条ということになる。

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韓国でネットでの誹謗中傷と関係しての女優の自殺が報じられてすぐの事件である。