権力活動と性活動

いまだによく分からないのは
人生の時期において
権力の頂点と
体力・精力の頂点が一致しないことである

子孫をたくさん残せるかということが進化論ではなんといっても中心の問題になる

その場合
老人が権力を握る構造だと
老人は権力を行使して
子どもや孫の繁殖活動を支援するということになって
なんだか間接的でややこしい

性的活動のピークと
権力活動のピークは重なる方が合理的だ

そのような構造になるには
人間は長生き過ぎるのだろうか

これは猿山の猿的な考えでしかないけれども

権力者の子を残す
権力者が子を残す
そのようではない

むしろ
子を残してから権力者になる

子孫繁栄の有利さを味わうのは子どもや孫ということになる

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この時間のずれがなんともおかしなものだと思う
伝統的なダーウィン的考え方では子孫をたくさん残すのに有利になるように権力闘争があるわけだけれど
人間の場合の権力闘争は
もう遺伝子を沢山残すとは考えられない年齢になってから最盛期になるわけで
おかしなことだ
実際に子どもを産む20-30代の個体にそれほど強い淘汰圧がかかっているとは考えられない
もっと言ってしまえば
現実には淘汰圧はあまりかかっていないのであって
どんな人でも数人の子どもが残せて
だからあまり激烈な競争にはならない平和な外観を保持しているということだろう
人間でもたまにはお金が沢山あってハーレム状態を作る人もいるけれど
珍しいものに属するだろう
ということは
人間の場合の権力闘争は性的な圧力以外の部分で発生していると考えなければならないのだろう
ここでフロイトを思い出すと
性的な動力以外のものをもっと大きく想定しなければならないという点で
フロイトの最初期の発想を訂正する必要がありそうである