サディストとナルシストはある程度重なり合うところがあると思う
共感性がなく
徹底的で
賞賛を求め
誇大的である
マゾヒストはある程度共感性がないと成立しないと思う
勘違いでもいいから共感していると思わないと成立しない
この人の気持ちを分かってあげられるのはわたしだけなんだ
というくらい思い込めば少しは成立の見込みもある
マゾヒストは人間の出来が高級である
サディストはまったく共感しないで勝手に直進しているか
あるいは相手の気持ちが分かって、相手の要求に従って、サディストを演じるという場合も多くある
これはかなり高級なサディスト
この場合は支配的マゾヒストと被支配的サディストの組み合わせになる
支配的サディストと被支配的マゾヒストの組み合わせは尋常のように思えるが
それでお互い快感なのかといえば
支配的マゾヒストと被支配的サディストの組み合わせの方が
強い組み合わせのように思う
サディストが支配的というのはあまりにも当たり前で興奮しないようだ
マゾヒストで受動的だけれどしかし支配権を持って決定しているのはマゾヒストの側であれば、
お互いに貸しもあり借りもあり複雑になって離れられなくなるのだろう
サディストはそれなりに疲れるものだから
自分からアクセルを踏んでマゾヒストが乗ってこなかったらとても気まずい
その場合にマゾヒストの側でアクセルを踏んでくれると
エネルギーを無駄遣いしないで有効に快感に変換できる
そのようなエコノミーも多少はあると思う
マゾヒストの側で仕掛けてそれを無視されたときもなかなかすてきなプレイになる
支配と被支配が入り乱れて初めて倒錯するのである
幾重かの入れ子になっていればなお良い
だから篤姫がマゾヒストで支配者、
一番若い老中がサディストで被支配者、
篤姫が若老中を性的心理的に支配して、
その見返りとして若老中が政治の実権に近づくという構図がよい。
篤姫もハッピーで若老中もハッピーで
これがウィン・ウィンである。
葉っぱなどよりずっと効きそうである。
深層では篤姫が仕掛けて、将軍いじめを画策し、
形式的には若老中が画策したように見せかけ、
篤姫は仕方なく若老中の言うがままに将軍をいじめる。
そのいじめ方はサディストではなくやはりマゾヒストである。
そんななかで一番輝いているナルシストは篤姫である
すべての人の心を見抜いていながら支配し尽くして冷酷そのものであり
他人はすべて自分の快楽の道具である
心が分かるということと軽視することとは別のことで
分かっていて尊重することもできるし
分かっていて無視することもできる。
この場合は、分かっていて無視しなければならない。
気持ちを無視すればそのことが相手のサディズムをかき立てるだろうことまでを支配しなければならない
マゾヒストである器はどこまでもどん欲である
サディズムには限りがあるように思う
アドレナリンも出続けるわけもないのだ