理性ある人びと 力ある言葉 大内兵衛グループの思想と行動

理性ある人びと 力ある言葉 大内兵衛グループの思想と行動
日本資本主義論争から美濃部都政まで
ローラ・E.ハイン(Laura E. Hein)
大島かおり翻訳

 あらゆる創造作品がそうであるように,この本も自伝的な側面をもっています.大内兵衛を読んでいると,私は自分の祖父,ジークフリート・ハインのことをよく思い出したものです.大内とほぼ正確におなじ時代に生を享けた祖父も,やはり家郷(東部ドイツ)を離れて,みずから切り拓いた都会の知的専門職としての人生を送りました.そして大内と同様に,国際的な科学的近代性というものの前途の約束を生涯信じとおして,野蛮がなおもはびこっている証拠がいかに多かろうとも,その信念のゆえに大いなるオプティミズムを抱きつづけたのでした.
 家族のことをべつにしても,私が育ったのはヴェトナム戦争の時期,まさに新左翼が旧左翼に挑戦状を突きつけていたころでした.この本は,私の憶えている当時の大人たちの態度と前提を,私なりによく考えてみようという試みなのです.若かったころの私にもっとも強い印象を刻みつけた人のほとんどは,マルクス主義にふかく触発されていました.じっさい,私の思うに,地球規模における20世紀は,いかに多くの人びとがこの世界観を共有していたかを認知することなしには,理解できません.けれども新左翼があとあとまでのこした一つの遺産は,マルクス主義思想の核心にある科学的実証主義と構造分析とにたいする不信です.むろん,あの批判――マルクス主義者は人種やジェンダーにコード化された権力のシステムにたいして,あまりにも鈍感であることが多すぎたという批判や,文化というものは経済的基礎にたいするお飾り的な上部構造として片付けられない,はるかにそれ以上のものだという批判は,正しいし,重要でもあります.それでも,20世紀のマルクス主義者のことを,私たちの時代についてなんら役に立つことを言っていないではないかと一蹴してしまうとしたら,なにか大切なものが失われるような気がします.とりわけ私に感銘を与えるのは,世界を変革するための多くの創造的で実践的な方法を編み出そうとした大内の努力です.彼とその弟子たちは何十年にもわたって,諸制度をつくりなおすことによって人びとの生活を向上させようと努めました.これは個人的努力にのみもとづくものよりも,はるかに効果的なアプローチだと思えます.その意味でこの本は,日本という一つの場所について以上に,20世紀という一つの時代について語っているのです.
 これは日本についての本でもあります.私はまえまえから,じつに多くの人たちが,日本の諸制度が他に類のないものだという主張を擁護したり攻撃したりしたがっているのを,ふしぎに思っていました.世界のほかのところでなら,そのような主張はばかばかしいと無視されてしまうでしょう.結局のところ,そういう議論がようやく私にとって意味をなすようになったのは,日本の最近の過去をどのように記憶するか――そして戦略的にどのように忘却するか――をめぐる政治的な議論として,それを再構成してみたときでした.大内兵衛とその弟子たちをふたたび公共圏の視界のなかに連れもどすことによって,論争のたねではあるにしても実りゆたかな日本の近代の歴史の記憶を検討しなおすことにも,この本が役に立ちうるのではないかと期待しております.
(「日本語版への序文」より)

 著者がこの本で試みているのは,1920年代から戦前・戦中・戦後にわたるほぼ50年のあいだ,激動の時代に正面から取り組みつづけた,大内兵衛を中心とする経済学者6人のグループの人生を軸に,近代性と社会科学の合理性への信念を力づよい言葉で表明した彼らの思想と行動を跡づけることで,20世紀日本の政治文化と,その形成に大きな役割を担った社会科学の専門知のありようを考察することです.(中略)
 ローラ・ハインは,これまでの著作からも,この本の日本語版への序文からもはっきりとうかがえるように,20世紀日本の歴史を,日本固有の特殊性という観点からではなく,もっと広いグローバルな近現代史の,もっと普遍的な流れのなかのに位置づけて見ようとしています.しかもそのさいの彼女の視線は,たんに外部世界から日本を観察する者のそれというよりも,同じ近現代の課題をかかえている世界に生き,相似た遺産を祖父母や両親の世代から受け継いできた生身の個人の,つよい関心と共感にあふれた視線です.ともすれば自閉的にわが国の「固有性」にこだわりがちな私たちにとって,このような隣人たちの視線は,とても新鮮であるとともに,私たち自身を外に向かって開かせる大きなインパクトをもっています.このことは本書にかぎらず,ここ数年,あいついで翻訳・出版されている日本近現代史研究者たちの本を読むたびに,痛感させられます.
 この本の主役である大内兵衛たちは,私たち読者の祖父か父たちの世代に当たっていて,彼らの生きた時代のいくばくかを私たち自身も共有していたにもかかわらず,彼らを一貫して時代の問題に果敢に立ち向かわせた内的欲求,とりわけ社会的正義や市民的自由と平等への希求は,いまの私たちのあいだでは急速に薄れかけているように見えます.経済学自体も,彼らの時代とはまったく相貌が変わってしまったようです.なぜ私たちはこれほど近い過去を忘却のうちに沈めてしまうことを肯んじているのか.――私たちの記憶のありよう,もしくは意図的な忘却の仕方について,そしてまた民主的であること,効率的であることなどが,政治や社会のなかで何を意味するかが,いまではなぜこんなにも変わってしまったのかについても,この本は私たちをふかい内省へといざないます.
(「訳者あとがき」より)

日本語版への序文
大内グループ
 
第1章 序論 世の中に影響をおよぼす
  経済学の政治的性質と日本/大内グループ/政治文化と国家政策に影響を与える/大内グループと社会科学/大内グループと人脈/大内グループと政治的活動
 
第2章 専門化と政治
  6人の若い男たち/大内兵衛/有沢広巳/大森義太郎/脇村義太郎/高橋正雄/美濃部亮吉/助手時代/1920年代の日本の知識人のディレンマ/マルクス主義の魅力/海外への旅/政治活動――どこまでやるべきか/左翼雑誌への執筆/総合雑誌での資本主義・帝国主義批判
 
第3章 国家を無視できず
  政治文化の縮小/思想犯罪による逮捕/留置,裁判,判決/戦争の仕事/降伏を待ちつつ
 
第4章 占領下日本における政治としての経済学
  民主主義の実践としての
財政責任/民主主義のための統計/政府をつねに正直にさせておく法
 
第5章 平和のための仕事
  『世界』の創刊/平和のための活動/世界のなかの日本/平和主義の経済/エネルギー問題と外国貿易/平和主義的公共文化の形成
 
第6章 資本主義の矛盾を和らげる
  二重構造/高い生産性による高賃金での完全雇用/高賃金/高い労働生産性/結果として生じた緊張/社会福祉――貧困の一層と社会化するリスク
 
第7章 消費と民主的家庭
  消費 対 貯蓄/ジェンダーと民主的市民/民主的家庭,民主的社会/社会に働きかける消費者の育成
 
第8章 「グローバルに考え,ローカルに行動する」――東京都知事
  怪物東京を革新の争点と規定する/美濃部の選挙/中央政府への挑戦/都市の有権者のために/環境問題と公害
 
第9章 結び 大内グループと20世紀日本の記憶
  20世紀日本における市民と国家/「ポスト資本主義」経済のヴィジョン/社会科学と社会主義政治
 

訳者あとがき
参考文献
索引

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野蛮がはびこる中で、オプティミズムを捨てないこと。

いまではなぜこんなにも変わってしまったのか。

もしくは意図的な忘却。

隣人たちの視線は,とても新鮮。

資本主義の矛盾を和らげる、高い生産性による高賃金での完全雇用。

そして、意図的な忘却。