健康で文化的な生活を営む権利のための制度の奇形

国民は健康で文化的な生活を営む権利を有するとすれば

その権利を実現するために誰かが負担をおわなければならない
隣人を助けるという場合ならば
どんな人にどのように援助したのかがわかる、結果がどうなったのかも分かる
援助された側も
誰にどれだけ援助してもらったのかが分かる
落語にもたまに出て来る
直接の隣人愛である
ここには愛があり感謝がある
そこに国家または行政が介入すると
援助ではなく強制的に徴税されることになる。義務である。
援助される側は権利だと思う。感謝ではなく手続きをするだけである。
憲法の精神が実現されていないと怒っている。
税金の役人がいて税金を取り立てる。それは強力な権力装置である。
役人や政治家が税金の分配を決める。巨大な利権である。
というわけで、愛も感謝もなくなる。
役人や政治家の給料も発生する。
どのような仕組みがあるのかについて、知識があるなしで利益が別れる。
奇形的な制度である
愛のためならばお金を惜しまない人たちも
税金にとられるのは悔しいと思うのか
会社の経費としてなるべく使ってしまおうとする
無駄な飲み会が増える
無駄な接待が毎晩で、それはそれで疲れる
これがあるから霞ヶ関からの引っ越しなんて出来ない
首都移転というなら霞ヶ関と国会と会社の本社と六本木と銀座をセットで動かさないといけない
ただ酒だから銀座も六本木も成り立っている
メタボになって医療費が増える
必要もないのに自動車を買い換える
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税金の無駄遣いと批判するけれど
そういって批判する人たちも経費の無駄遣いをして節税している
何が無駄かについては
意見が分かれるのであって
それは単純ではない
価値観の相違と言うべきものも結構ある
どこまでが言い逃れなのか言い訳なのかもはっきりしない
役人が無駄遣いをするから節税するのだというだろう
役人だって健康で文化的な生活をしたいのだ
そのあたりを調査するとすればまたそのためのお金がかかる
何が適正かについてはマスコミの気まぐれも大きい
たとえば3月末の異動までに話の辻褄が整えば良くて、整わなければ転勤になりお蔵入り
検察も同様
裁判官もいいたいことが言えるのは退官まぎわだけ
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このあたりについては制度が奇形的に進歩してしまったので
どうしようもないのが実情だろう
もちろん役人は現場にいて百も承知だが
忙しいだけでどうしようもなく
今日も酒を飲んで暴れている
健康でもなく文化的でもない酒