たとえば昔からの人は
会社を休んで仕事が遅れたら自分の評価が下がるので損だと思うし
そのことで給料が減ったり昇進が遅れたりしたら自分の損だと思うので
家でゆっくりできる得と見比べてみて
損だと結論する
そもそも会社を休んで家にいると
近所の人にどう説明していいか分からないし
子どもにも説明しにくいし
妻の親にも説明しにくくて
あれこれ考えると休むことは簡単ではない
最近の人の一部にはそうでない人がいて
昇進も給料も将来のことはあまり気にせず
とりあえず楽な道を選び
それどころか休職中にハワイに旅行に行ったりして
会社や保険組合から通院回数が少ないがまじめに治療しているのかと
問い合わせが来たりもする
価値観や人生観が違うとしか言いようがないのだが
その数が何だか少数派ではなくなってきているような気がする
わたしの働いている新橋のオヤジサラリーマンはまだまだ昔のままだし
すぐ休むような人は新橋からどこか支店に配属されるだろうから
わたしは診察しないことになるのだろう
結局猛烈サラリーマンが絶対休まないと言い張り
わたしはどうしても休んでくださいと
わたしはどうしても休んでくださいと
しばらく説得することになる
こうした猛烈サラリーマンの考えも価値観も
わたしにはよく分かる
忙しいと近所のホテルに泊まり込んだり徹夜をしたりしている
これが仕事の生き甲斐だろうと思う
周囲の反感をものともせず
休職してハワイに行ってしまう人は
どのような価値観になっているのか
そのことと最近言われているニート・フリーターとか
非正規職員としてずっと働くとか、
そのあたりはつながっているような気もする
もちろん制度の問題はあるのだろうが
正社員として制度に厚く守られた社員が病気休職してハワイで遊んでくる
日焼けしましたねなんて言っている
すまない様子もないし恥ずかしさもない
当然の権利だと思っているらしい
どれだけ休むかも自分で決めているようだ
それが遠慮されると言うときには産業医とか上司とか人事に
ゆっくり三ヶ月くらい休みなさい、三ヶ月分の診断書を書いてもらいなさいなどと言われましたなんて
平然と語ったりする
企業内生活保護と表現する人もいる
年寄りにはよく分からないが
これが豊かな社会の子どもたちなのだろうか
我々が猛烈に働いてよい社会を作りたいと念願して
到達したのがこの地点なのだろうか
それともよい社会は逃げてしまったのだろうか
むかし保健室登校が話題になって
そのことが現代の状況を正確に予言していた
そのことが現代の状況を正確に予言していた
小学校で起こっていることが20年後に
会社で起こるのである
それにしても彼らの大事なものは何なのだろう
よく分からない
ハワイならば有給をためていけばいいではないか
多分、人の立場に立って考えてみることができなくなっているのだろうと思う