自己愛なんて言う「用語」を使うから
誰の言っている自己愛ですか、
コフートですか、誰ですか、みたいなことになってしまうが
もっと平たく言えると思う
幼児期にはなんとなく全能感がある
比較の対象もないわけだし自分が一番弱いから一番ちやほやされている
兄弟がいてその人が特別扱いだと別だけれど
たいていは赤ん坊は一番大切にされるし
家族の中心になる
その証拠に
家族の呼び方も
その赤ん坊から見た呼び方になって
健ちゃんもお兄ちゃんと呼ばれたりするようになる
ということはやはり赤ん坊が一番ちやほやされている
その状態から出発して
普通の発達で言えば、兄弟と比較され、
学校では同学年の地域の子どもたちと比較され、
就職すれば会社の人と比較され、
比較されているうちに自分は何も特別ではないのだと気がつき、
特別だと思わせていたのは親ばかなのだと知り、
特別でない自分が世間に対して要求できるのも限度があるのだと知ることになる。
そのようにして「自分は特別」の認識は訂正される。
まれな場合には訂正されず、ずっと長い間「自分は特別」と思い続けている人がいる
それが自己愛性の人でナルシスティックな人ということになる
その人が特別に優秀だったり美しかったりすればある程度「自分は特別」と思っていても
現実とかけ離れた認識ではない
実際に特別な人なのだからその自覚を持って行動してもらった方がいいということにもなる
理由もないのに自分は特別だと思い続けている人は
現実生活で少し不都合が生じる
自分が期待するほどには世間は尊重してくれない
最近では学校は気に入らなければ休めばいいので「自分は特別」は保存できる
休んでいて時間はあるのでネットゲームで有名人になったりもする
会社に入るといよいよ現実を突きつけられる
いつまでも会社の「保健室」にいることもできなくて
自分は特別ではないという現実と折り合うか、あくまでも拒否するかの選択が待っている
自分は特別ではないという現実と折り合うか、あくまでも拒否するかの選択が待っている
現実と折り合ってもうつになる場合があるし
折り合うことを拒否してもうつになる場合がある
だいたいこんな風にして新入社員の会社不適応・適応障害の一部は成立する
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もちろん、このように顕著な形で分かりやすく出てしまうのではなくて、
隠しつつ、しかし根本では、自分は特別で、周りがみんなバカだと思っている人は多い。
わたしがきれいだから他の女性はわたしに嫉妬するのだと
もちろん言わないが、密かに思っている人は少なくない
きれいな人は実際に嫉妬されるので間違いでもない
若くてきれいだから甘えているなどと非難される
本当でもあり嫉妬でもある
これは程度の問題であって、
誰でもある程度、そのような要素は持っている。
持っているから、健全な自尊心も形成される。
自分も●●商事の一員ですから、
ということを行動原理にしている人は、
健全な面を見れば自尊心でありアイデンティティであるが
不健全な面を見れば「自分は特別」意識である
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その一方では、子どもたちは小さい頃から才能の選別にさらされる
いろいろな習い物をしたりするけれど
たいていは才能がないことも確認に終わる
自尊心を傷つけられ続けるのである
習い事をいろいろやって
それが自尊心につながるというのはまれな特例で
皆さんたいていは特別な才能はないことが分かるだけである
それでも喜んでいるのは現実認識を回避しているだけだ
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現実は自分の思ったとおりではないなあと思い知らされたとき
人間のとる対応には大きく分けて二つある
まずは自分の内部で言い訳を考えること
もう一つは外部の現実を否認すること
それぞれの程度もあるし、二者の中間型もあるのだけれど、
だいたい、精神的に発達するにつれて、
現実否認から内部の言い訳に移行して、そのあとで、現実を受け容れるようになる
どういうことかと言えば、例えば、
上司に仕事を言われたけれど、上手くできなかった場合、
現実否認の方向では、バカな上司がアホな職務命令をしたという解釈になる。
内部の言い訳としては、いま一時的に調子が悪くてできなかったのだとか、たまたま不得意分野だったのだという解釈になる。
現実的な認識としては、自分の能力が足りないのだから、どうにかしなくてはということになる。
これが精神発達というもので、
この様子を微細に観察したものが防衛メカニズムというもので、
よく知られたところでは酸っぱいブドウとか甘いレモンとかの言い方がある。
スプリッティングや投影性同一視などもそうである。
これで言うと、少なくとも上司がバカだから仕事ができないと言っているうちは、
どこの部署に行っても、バカな上司がいるもので、仕事はできない。
上司がバカかどうかは客観的な評定ができる部分なので比較的判定しやすい。
内心の言い訳については、その人の内部でのことなので、客観的な評定は難しくなる。
客観的な評定が難しい部分に逃げ込んでいる分だけ、上記よりは、頭はいいということになる。
だから、すこしは発達した形なのである。