民主主義

民主主義って変だなと思うことがしばしば

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裁判もおかしいなって思う
裁判で言えば、ガリレオ・ガリレイが、有罪とされた時代とさして変わらない。
無能な裁判官が天才ガリレイを裁けるはずもない。
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民主主義もギリシャの末期とさして変わらない。
権力者は財産家であり、それが原因か結果かは事情による。
(いずれにしてもたとえば鳩山家の財産を持ってすれば政党を作ることも出来るし、
自民党で当選回数を重ね、子分を養うことが無くても、総裁候補になれる。)
権力者は国民の声を聞くわけだが、国民を教育し誘導することも出来る。
結局自分が金で買った宣伝の結果を、国民の声として聞いて、政策を選択するのだから、
結局何をしているのか、よく分からない。
情報格差があって、国民は何も知らない。宣伝手段も権力の側にある。
おまけにたいていの場合、国民の平均は頭が悪い。
国民には情報がないし、宣伝を受け取るだけで、嘘を見抜く力もない。
マスコミが「あいつは嘘つきだ」といえばそれを信じる程度に、頭が悪い。
国民は忘れやすい。あるいはマスコミが宣伝しなくなると簡単に忘れる。
不思議なことだが、そんなことをして権力者が手に入れるものといっても、たいしたものではない。
鴻池さんは愛人と熱海に行ったというくらい。
一体何のためにこんなことすべてが回っているのか考えにくい。
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民主主義は衆愚政であるが、それでも、エリートたちが間違いに導くよりはいい。
自己責任で破滅するほうがまだ納得できるし、
エリート政治は最悪を選択することがあるが、衆愚政は最悪を回避することが出来るらしい。
そして二番目に悪い政策をいつも選択する。
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家庭内民主主義があるのかと思う。あるはずがない。
きちんと物事を考えるのは誰で、いい加減なのは誰か、お互いに知っているからだ。
大きな買い物をするときに、わがまま娘に意見をきくことはない。
よく勉強しているお父さんに任せるのが普通だろう。
国家規模においても、情報処理能力の優れた人間に、集団の決定を任せるのが得策であるはずだ。
それが昔からある科挙の制度である。
しかし選抜制度と政策決定能力は一致しない。
とんでもない愚者が選抜される。勉強とはその程度のものである。
おろか者はイエスをはりつけにしてしまう。そんなものだろうと思う。
時がたたなければ判断は出来ない。判断留保しているだけでは賢者ではない。
向こう見ずな人間が賢者といわれて壇上にのぼる。
(ソロスの運用がうまいならば、国家財政の運営もしてもらいたいはずで、
それをしないのは、ソロスが国家財政運営に寄生する方法を知っているだけだからだ。)
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民主主義では過半数をとる必要はない。
政権党の過半数でよい。つまり4分の1で良い。
その計算を突き詰めていけば、8分の1でいいし、16分の1でもいい。
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国民は自分のよく知らない人に投票している。
国民は自分のよく知らない政策についての宣伝を聞いて良く理解できないまま最後の結論だけを聞きたがる。
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このように国民を批判し衆愚政治を批判しているわたしが
平均的に愚かな衆愚である。
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人のエラーを怒っている自分が一番沢山の致命的なエラーを続けている。
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どのひとも他人がバカだからバカに世の中になっているといらだっている。
無責任の構図である。
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国民は現実を見ていない。マスコミを見ているだけである。
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マスコミという鍋で長い間ゆでられて、できあがったかえるが渡鍋である。
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権力・財界・官僚
マスコミ
↓(操作)
国民
↓(ゆがみ)
政治家
結局の所、うまくできているものだと思う。
この輪の中にいなくて良かった。
息が詰まるだろう。
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