雨 

雨の日々が始まる前、あなたから十通ほどの御手紙をいただいた。細やかなお心遣いの伝わるこころゆかしい御手紙を受けとるたびに、あなたは女性にお優しいかただとは知りつつ、また、わたしなどお遊びの相手にも不足だろうと思いながら、当時のわたしはなぜだかあなたのことを思っているうちにたくさんの短歌を作ってしまい、その中で差し障りのないようなものを二首選んで、手紙にしたためて返事をした。あなたからの御手紙は白檀系の香りが微かだった。お返しのわたしからの手紙にはムラサキツユクサの薄い色を広げた。わたしは筆は苦手なので女御にお願いした。それほどに自信のない女だった。

つまらない歌と思われたはず、それきりで忘れられたもの、と思っていたら、ある夜あなたがお連れの人とご一緒にわたしを訪れたのだった。あなたはわたしのような目立たない女と気を遣わない時間を過ごしたいと気まぐれに思ったのだろう。月も出ていない夜だった。

夜は終わり、気がつくと雨だった。眠るはずなどなく、意識がすこし途切れていたらしいのだった。夜のうちに月もない夜と思ったのは、かなり曇っていたからだろうと思い至った。
あなたは連れの者と語らい、空の様子からすれば、あと小一時間ほどで雨は上がるだろう、それまで出立はのばそうと決めたようだった。
雨の多い季節にわたしを訪ねてくださったことをこころから感謝した。小一時間の贈り物だった。何をしてもさえないわたしに、雨は恵みをしてくれた。

あなたは雨を待つとは言わず、この庵を立ち去りがたく思うなどとつぶやいてくれた。

わたしのせいではなく、雨のせいで、あなたはここにいる。

それでいいのだった。それでうれしかった。ただ一度の逢瀬としても、そしてそれがわずかにのびたのはただ雨のせいだとしても、それでもわたしはうれしく、あるだけの自分を献げたのだった。

あの人をひきとめているのは

わたしではない

そのあとしばらくわたしは長雨とあじさいを親しく思い、後年に至っては雨とあじさいをわたしの守り神と思った。あなたとのことは一度きりゆえに忘れがたい思い出となった。
いまは出家して仏に仕える身となりながら、雨の季節には、まだ娘だった頃の羞じらいまでも思い出せるのだった。まぶたの裏を走った光のようなものを思い出すこともある。みな、あなたゆえのことだ。わたしのことなどお忘れになっているはずのあなたゆえのことなのだった。