聖書に書いてあることによれば
世の中を生きた全員はとりあえず
地獄行きである
聖書なんか読まなくても
わたしが普通に考えても
全員が地獄行きだと思う
地獄にもランクがあって
どの地獄に行くかについては
多生の裁量もあるということになるだろう
ダンテも書いているし、日本の地獄観もそのようだ
往生要集のはじめは地獄・餓鬼・畜生・阿修羅についてである
それはいいとして
とにかく聖書では全員が地獄行きである
そしてイエスが登場して全員が天国行きである
その点では個人の努力を無にする言い方なのである
どんなにいいことをしていると思っている人も、
あなたは罪人だと言われる
納得できるので全員地獄行きも仕方がない
どんなに悪いことをしている人も
イエスが救ってくれるという
これで安心というものだ
詰まるところ個人の努力とか心がけとか
性格とか偶然とか
そのようなものすべては
神の目から見れば些細な事柄であって
天国と地獄の話で言えば何も関係はない
一応そんな事情になるのだけれど
そんなことを言われて
いい人たちはもっと深く反省して行いのレベルを高める
悪い人たちは人間はそんなもんだろうということで行いのレベルをそのままにする
死ぬ直前の悔い改めだけは一応しておく
そんなことになるだろう
イエスの教えの効果は
いい人をますます生きにくくして
悪い人をますますそのままにする
その程度の効果であると思われる
いい人たちにとっては
ハードルの高い目標を設定してくれているので
うれしいとも思うだろう
いい人たちは目標が高ければやる気が出るのである
おかげでこの社会が
この程度の混濁ですんでいる
ありがたいことである
つまりは
いい人にもっとがんばれと言っているのだ
下敷きにされても搾取されてもなぐられても
隣人愛を実践しなさいといっている
個人的にはトライには大賛成である
できなかったら、できないじゃないかと神様に抗議しよう
神様も、謝ってくれるだろう
でもできるところまででいいと思う
結局わたしは神様に少しだけ褒められたい
その素朴な感情である
そのあと結局地獄でも仕方がないと思う
神様の期待には全然応えられていないのだから
仕方がない