映像の世界で見る限り
日本人も立派になったものだ
終戦の頃の日本人と
同じ遺伝子とは信じられない
しかし同時に白人はその先を行っているのだから
いつまでたっても追いつかないような気もする
追いつけと言っているのではないが
追いつく必要もないが
しかし圧倒される要素もある
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随意運動部分で感情を示されても
だんだんありがたみがなくなる
不随意運動部分で示される感情にも
次第になれて
ひょっとするといつでも?と疑念がかすめ
自分にだけ特別そのようであって欲しいと思うが
確認する方法もない
そうこうするうちに男性は認知症になり
女性は孫育てに夢中になっている
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映像の表現にはやはり限界がある
映像の都合としては 大きいとか激しいとかが挑戦になる
雨降りだとか晴れているとかという表現になる
文章ならば 雨ではなかった という表現が可能になる
晴れている ではなくて
雨は上がっていた と感じたいのが人間ではないだろうか
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若い人の映像を見ると50年前の片思いを思い出す