まぼろしを抱き合う

ただ

まぼろしを抱き合っているだけだった
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人間は脳が発達している分
まぼろしに恋をしてまぼろしを抱き合う
ラットの脳であれば
家柄のブランドも
家の財産も関係なく
HLAタイピングの遠い異性を選択して何の疑問もないだろう
あるいはニホンザルであれば
順位制社会での順番に従うのだろう
人間の場合には
もう少しいろいろなイリュージョンがあるように思う
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そして往々にして
まぼろしの相性と
体の相性がずれているのである
社会的人間としてはまぼろしの相性に従い
動物的人間としては肉体の相性に従う
その二重の基準でいつも社会は運営されてきた
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でも、どうしても、どちらかの相性を選べといわれたら、今の私は肉体の相性を選ぶ。
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肉体の相性は、
出会う時期にもよる。
肉体的相性は、社会的相性が引っ張っていてくれているちに、調整が進むこともある。
子宮口の位置はかなり変化することがわかっている。
しかし全体としてはかなり複雑な要素の総合なので
話は簡単ではない
そして相性がいいとしても
3年程度が限度なのである
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そう思っていたら
世間ではそうでもなくて
夫婦で寄り添いいつまでも
お互いを守り続けて
深い満足を感じている二人もたくさんいるのである
これは人間の中核的な健全さであって
とてもかなわない強さである
普通の人というものは非常に強いのである
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結局、つまらないわたしたちなどは、
まぼろしを抱きあっているだけなのである
これはイベリコ豚だからおいしいと食べ
これは何のワインだからおいしいと飲み
これは誰のデザインだからすばらしいと褒め
それはどれも肉体の欲求ではなく
脳の指令でしかない
豚の角煮に五香粉をかけて食べたいのだ。
これが肉体の指令である。